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完璧な信頼と着実な歩み

“わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。”

エゼキエル書 36章24節

私たちは、自分の周りで起こることや、将来の事は、すべてが自分の思う通りには行かないことがあるのを知っています。

でも、同時にさまざまな期待や夢を抱いて、その実現のために努力するのです。

夢や目標が叶うと、一時的には達成感を感じますが、モチベーションを保つためにまた次の目標や夢を追いかけていることがあります。

どこまで行っても終わりのない、エンドレスゲームを走っている自分に気がつくことがあります。

また、それまで自分には価値があると思っていた目標が、突然そんなに価値のあるものでないように思えてくることもあります。

自分の人生をデザインされている創造主と共に歩んでいなければ、私たちの人生はジェットコースターのようになってしまいます。

あらゆる物質的に、目に見える目標を追求する時には、必ずその背後にある神の導きを実感することが大切なのです。

神と共に歩む時には、1日1日の中に自分自身の進歩が感じられ、どんな小さなことでも神のために最善を尽くして歩むことへの充実感があります。

他人との競争に勝つ喜びよりも、昨日の自分に比べた進歩への喜びがあります。

目標の達成や、人の評価や経済的なものは、神との着実な歩みの中から生まれてくるのです。

神の前に正しいことにベストを尽くしているという感覚を持って、神の導きに従っている時には、むやみに近道を探したり、不当な方法を取ったりすることはなくなります。

なぜなら、目標の達成よりも、神の前に忠実に正しく歩むことの方が優先順位が高く、大切だからです。

そして本当に価値のあることを達成するためには時間と労力が必要なことも知っているからです。

神に導かれ、確実に毎日正しいことを着実にやり続ける時、人間的な策略ではなく、神の計画によって、あなたの人生は素晴らしい方向へと導かれていくのです!

感情を越えた働き

“怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。”

エペソ人への手紙 4章26節

私たちはどんなに神様を信じていても、どんなに自分の意志の力が強くなっても、怒りや悲しみやまた、様々な感情が湧き上がってくるのは人間としては当然なことなのです。

しかしその感情をそのまま外に出すか、それともそれをコントロールして、違う方向に転換することができるかどうかが、人間としての人格または成熟度を示す尺度になってくるのです。しかし、感情のコントロールを全て自分の意思の力だけでしようとすると、自らの中に感情を閉じ込めてしまうことになり、結局はそこからストレスが生まれ、私たちの持っている本当の力を出せなくなってしまうことがあります。

否定的な悲しみや怒りや落ち込みといった感情が生まれてきた時、それを全て神の手に委ねるのです。

否定的な感情には理由があるのです。その理由の多くは私たち自身のエゴに根ざしています。正当に扱われず自分のアイデンティティを傷つけられたり、自分の期待と計画通りに物事が進まなかったりと、自分の考えや計画と現実の乖離から否定的な感情は生まれます。

そんな時には、自分の囚われた小さな考えから、神の大きなスケールに焦点を移すのです。

自分の周りで起こる全てのことは、どんな小さなことも、最善の神の計画の中で導かれているのです。

すべてのことを神の手に委ねてしまう時、特に大切だと思っていたことや、価値があると思っていたことも神の目からすれば、実はそんなに大きなことではなかったり、大きな問題や怒りの原因も、実はそんなに大きなことではなかったことに気がつくものです。

否定的な感情が生まれる時には、その理由がありますが、それを全て神の大きなスケールの視点から捉え直す時、私たちは自然とあらゆる感情を乗り越えて、神が与えてくださる平安の中で過ごすことができるようになるのです。

5/26/23 #552

あなたが思っているよりも近い

“試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。”

ペテロの手紙 第一 1章7節

あなたが今までこれまで経験したことのないような大きなトラブルに会う時、実はそのトラブルや困難の大きさは、あなたが次に起こるブレイクスルーの大きさを示しています。

そしてその困難が大きければ大きいほど、あなたは次の大きなブレイクスルーにますます近くなっているのです。

一時的にはいつまでも続くように思えるような試練や困難も、それは実は次の大きなブレイクスルーの前兆にしか過ぎないのです。ですから、そうした試練や困難の中で止まることなく、前に進み続けるのです。

今まで経験したことのない試練や困難に直面しているときは、あらゆる落ち込みや悲しみの感情を振り払って、もうすぐそこまできている次の大きな展開に期待を寄せるのです。

神はあなたの人生を貫いて、完璧な計画の中で導いておられます。

今までみたことも、考えたこともなかったような、新しい次元の自分に出会うのはもうすぐです!

5/16/23 #552

すべての事は一時的

“ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。”

サムエル記 第一 30章6節

私たちは時々予期しなかったようなトラブルに巻き込まれたり、事が思うように進まなかったりすると、何かその状況がいつまでも続いてしまうような感覚にとらわれ、それが私たちの希望と力を奪っていくことがあります。

しかし、あなたの人生を振り返ってみてもわかるように、すべての事は一時的なのです。

どんな嵐も、大雨も、吹雪も、荒れた天候が全て一時的で、必ずその後にまた素晴らしい晴れる日がやってくるように、私たちの人生の中で起こる大きな問題やトラブルも、すべての事は一時的で、必ずあなたはそれを乗り越えて、次のさらに大きなステージに引き上げられるのです。

あなたがそのことを信じている限り、いつまでもその状況を中にとらわれてしまう事はなく、一時的な試練を乗り越えて、次のステップに大きく成長して歩むことができる自分を、試練の真っ只中にいる時に見ることができます。

どんな困難な状況の中にいても、そこを乗り越えて、新しいステージで輝いた働きをしている自分を信仰の目でみることができる時、どのような状況の中でも、確実に前に進むことができるようになります。

あらゆる状況のなかで、神はいつも働いておられます。

神は私たちに起こる全てのことを用いて、私たちを成長させ、隠れた才能を引き出し、人格を磨いて、素晴らしい人生を与えようとしておられます。

ダビデはゴリアテに勝利して、王の位を保証されながらも、サウルの妬みをかって、13年間さまよっていました。ついには、自分の郷里が全て敵に焼き払われ、全てを失っても、それは一時的なトラブルに過ぎないことを信じて立ち上がったのでした。

そして、直後にサウルが死んで、ダビデは王になったのです。

神はあらゆる状況を用いて、私たちを成長させ、神の働き人として大きく用いようと働いておられます。どんな状況も人生の書の1ページに過ぎないことを知る時、私たちは次の展開を期待して次のページを開き続けることができます。

そうして、最善のタイミングで、大きな飛躍の時がやってきて、神と共に歩む素晴らしい人生が展開していくのです!

素直に心を開く

“なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。”

ローマ人への手紙 3章20節

私たちは信仰を持つと、神の素晴らしい働きを受けるためには、お祈りをしなければ、また常に自分に聖書の言葉を覚え続けなければ神の働きを受けることができないと思ってしまい、自分でいろいろとやることを決めて、それができていない自分を発見すると、自分を責めてしまうことがあります。

でもこの聖書の箇所が語っているように、神は私たちが何かをしたからと言って私たちに恵みをくださるわけではありません。

神はいつもあなたの前に最善のものを与えようとされているのです。

たとえ私たちiが、どんなにあれやろうこれやろうと自分で決めても、必ずその通りにできないことがあることがあるのを知っています。

だからこそ、神はあなたが何かをしたら、何かの修行をしたら、聖書を学問的に深く勉強したら、大きな働きをあなたに与えるというような形では、あなたに働かれていないのです。

あなたが唯一しなければならない事は、神に目を向けることです。

自分が持っている重荷を神に預けて、素直に心をリラックスさせて神に開くことで、神との繋がりは強くなっていくのです。

神の働きの大きさとすばらしさを知るようになれば、自然といろいろな方法で、神を探し求めるようになるでしょう。

時には音楽であったり、特別な場所であったり、一定のしぐさであったり、ただ静かに横たわって瞑想することであったり、いろいろな方法があっていいのです。

神に心を向け、神が共におられる感覚を持ち続けることによって、素晴らしい平安と喜びが心の中に湧き上がってくるのを感じることができれば、自然とそれを求めるようになり、そのためにいろんなことをするようになるものです。

神からの大きな恵みを、素直に心を開いて受けることができるようになれば、益々神に用いられて、素晴らしい人生が展開していくのです!

はるかに大きなスケールの期待

“しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。”

コリント人への手紙 第一 2章9節

私たちは日々の生活の中で、こうなってほしいという様々な良い結果のシナリオを期待します。

時々信仰を持って神の働きを信じるようになると、神が素晴らしい働きをしてくださるから、必ずこの状況はこの時までに改善する、必ずこんな形でに良くなると言って、勝手に自分で決めた期待が自分の時間軸の中で起こるはずだと信じこむ事があります。

そしてそうした期待が大きければ大きいほど、自分の考えに固執すればするほど、現実との違いがより明確になって、どうして信じているのにこんなことになってしまうのか、どうしていつまでたっても状況が変わらないのかと言って、いつの間にか期待がストレスを産むだけになってしまうことがあります。

しかし、本当に神を信じるようになると、神への信頼と完全な従順さが同時に生まれてくるのです。

神は常に私たちにベストであり、どんな時でも私たちを最善に導いてくださっていると言う神の愛の大きさの本質に気がついて、私たちはいつまでも自分の小さな枠の考えに囚われなくなります。

どんなにこれが最善な方法で最善のタイミングだと思っても、そうした自分で考える事のできるようなシナリオは、短期的で近視眼的で、小さなスケールの良い事に過ぎないことを知るのです。

時には一時的に遠回りに思える方法や、試練さえも私たちの成長のために必要なものを最善のタイミングで備えていてくださるのです。

神の働きは、私たちの人生を貫いて、もっと長いスケールで、しかもあなたが全く考えもしないようなもっと大きな素晴らしい方法で、あなたを導こうとしておられます。

この神の時間軸とスケールを知って、神の導きに素直に委ねて歩むようになると、自分の計画がうまくいかないとか、思うように事が進まないといって、いちいちストレスにならなくなります。

そして、今できることに益々力を注ぐ事ができるようにな理、やがて神の最善のタイミングで大きな飛躍が起き、神の働き人として、益々大きく用いられるようになるのです。

神の働きは、いつも目が見たこともないもの、耳に聞いたこともないもの、心に思い浮かんだことをないようなものです。

自分の小さなスケールで考えられる枠を出て、神の導きに身を委ねる時、神と共に歩む素晴らしい人生が展開していくのです。

自分の人生ではなく神に与えられた人生

“主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。”

詩篇 37篇4節

私たちは目標を立てる時、こういう風にあるべきとか、あの人のようになりたいとか、様々なものに影響を受けることがあります。

しかしよく振り返ってみると、そうした目標のいくつかは、実は本当に自分が心からやりたいことや、考えたものに基づいて作られず、あなたがただ単に憧れや社会的な価値だけに基づいて、つくられていることがあります。

この聖書の箇所の言葉の順番に注目してください。

まず、初めに主を自らの喜びにすると、そこから生まれる願いが叶えられるというのです。

聖書はただ単にどんな願いでも叶えてくれるといっている訳ではありません。

この順序はとても大切です。

主を自らの喜びにする、つまり神と共に歩む人生に喜びを感じることがまず初めなのです。

神と共に歩むようになると、自分のエゴから生まれる目標はなくなります。

いつまでも自分のやり方に固執することもなくなるでしょう。

ただ、神が導かれるところに行き、その中で起こるあらゆる状況を受け入れ、全ての事に感謝するという極めてシンプルなライフスタイルです。

シンプルですが、複雑な現代社会の中では意外に難しいかもしれません。

様々なプレッシャーや、エゴや、いろいろなものが重なり合って、シンプルに生きれなくなっていることがあるかもしれません。

でも、もう一度神に立ち返って、神に本当に導かれた素直な自分に戻ってみるのです。

その時、神は社会の価値観とは異なった、あなたにしかできない、本当の進むべき道を示されます。

神に導かれた、神の栄光を表すための心の奥から生まれる願いが生まれます。

そうやって、内から生まれるものに素直に従って歩み始める時、あなたの人生は思うところ願う所を遥かに超えた素晴らしいものに変わっていくことでしょう!

競争を通して本物の才能を磨く

“キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。”

ピリピ人への手紙 3章14節

これまでいろいろな競争に参加してきたでしょうし、色々な競争をみてきたことでしょう。

どこの分野に行っても、どの人生のステージにおいても、あらゆるところで人々はいろんなことを競います。

スポーツの世界でもそうですし、また仕事や様々なところで、私たちは競争を通して、神に与えられた能力を完全に引き出すことができます。

競争の際に、相手を分析することは、戦略を立てる上で大切なことでしょう。

しかし、相手を必要以上に意識しすぎると、本当の自分の神に与えられたタレントや良さを引き出せなくなり、競争するための大切な手段を失ってしまいます。

競争は、実は他人との競い合いではなく、自らの中にある神に与えられた本当の才能、神に与えられた本当の力を見出していくステップなのです。

神との対話を通して、自分の得意なやり方や、自分に合った方法、自分の強みを生かしたやり方を探し出し、それに磨きをかけていくことが、あらゆる競争に勝利していくためのコツなのです。

周りの人がやっていることをを参考にすることは大切ですが、あまりにもあなたが周囲の人と競い合うことだけに、焦点を当てすぎると、自らの中の本当の可能性を見失ってしまいます。神が、自分に何をするように語っているのかを聞き、その導きに従って、あらゆることに挑戦してみるのです。

時には神は、これまで考えもしなかったような方法を示されることがあります。

常識的な考えでは遠回りに見えたり、うまくいきそうにないことを示されることがあります。

それでも、神の導きに従ってできることを全てやっていると、一時的な敗北はあっても、全てのことを通して神があなたを成長させ、さらに高いレベルに導いておられることがわかってくることでしょう。

競争の勝敗は一時的な事ですが、神との歩みは人生を通したイベントです。

ただ単に競争に勝利することを超えて、神と共に歩むことの素晴らしさを知るようになると、あなたますます大きく用いられていくのです!

謙虚さに支えられた信念の力

“そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。”

列王記 第二 5章14節

ナアマン将軍は、自分の肌の病を癒すために、非常に評判の高い神の人と言われていたエリシャのところにやってきました。

ナアマンは、特別な癒しの手法を施してくれるのかと思っていたら、ただエリシャの家来を通して、近くのヨルダン川に身を浸しなさいと言われただけでした。

ナアマンは激怒して、帰ろうとしましたが、家来の「川に入るくらい簡単なことですから、やってみたらどうですか」という助言を聞いて、川に入ったところ、完全に癒されたのでした。

私たちは時々自分のエゴが強くなっている時に、不当に扱われると、このナアマン将軍が怒ったように、感情が乱されるものです。

しかし、そのような時こそ、もう一度謙虚になって、神の小さな声に耳を傾けてみるのです。

神の声は直接自分に語られることもあるでしょうし、またこの聖書の箇所の物語にあるように、周囲の人を通して語られることもあります。

聖書の中には、この家来がナアマンに助言したように、社会的に地位が低いと思われている人の言葉を通して、大きな奇跡がなされた話が度々出てきます。

自分の中のエゴが強くなって、自分の考えだけで物事を進めようとしていると、神の小さな声や周囲の人の大切な助言が聞こえなくなるものです。

あなたの人生を変えるような、大きな問題を根本的に解決するような助言は、意外と権威者の言葉の中にはないことがあります。

あなたが神につながって、神に導かれた歩みをするようになると、自分のエゴに囚われることがなくなるので、そうした、小さな大切な声を聞くことができ、神に導かれて大きな働きのために用いられるようになるのです!

新しい今日に心を入れ替える

“これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。”

詩篇 118篇24節

この聖書の箇所にある通り、今日は新しい日です。

昨日はいろいろなことがあったかもしれません。

気を落ち込ませることや、思わぬ失敗、また逆にとてもうまくいったことや、また大きな成長を感じたこともあったでしょう。

でも今日はまた新しい1日なのです。

どんなことがあっても、神はまた全てをリセットして、新しい1日を与えてくださるのです。

昨日の問題は今日には、解決に至るかも知れません。

長い間求めていたものが手に入るかも知れません。

新しい出会いがあるかも知れません。

昨日のことを完全にリセットして、新しく与えられた1日に神の新しい働きを期待して歩み始めるのです。

私たちは、ともすると、今日は昨日の延長線上にあるかのような錯覚に陥ることがあります。

同じところに住んで、同じルーチンワークの仕事をして、同じような人に会うのが日常の人もいるかも知れません。

今日、何か新しいことにチャレンジしてみてください。

すでに新しい大きな挑戦がある人もいるでしょう。

何も大きな計画が入っていない人もいるかもしれません。それでも何か小さな新しい事に毎日挑戦し続けるのです。

ちょっとした習慣を変える事であったり、新しい人に声をかける事であったり、何か毎日の日常の中に、神の大きな働きを期待して、未知へのチャレンジを組み込んでいくとき、あなたの人生は躍動感に満ちた素晴らしいものに変わっていくでしょう。

そして、新しい事にチャレンジするたびに、神の守りと導きを求めることで、神とのつながりがますます強くなり、神に導かれた素晴らしい人生が展開していくことでしょう!

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