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平安な心を得るための鍵

“わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。”

詩篇 42篇11節

心が沈んだり、落ち込んだりしている時、そこから脱出するための手段を持っていますか。

私たちは、気分が沈んでいたり、苛立っていたりする時、感情の赴くままに行動してしまったり、その感情をいつまでも引きずって、不安で落ち着かない日々を過ごしてしまったりすることがあります。

そんな時、この聖書の言葉が役に立ちます。

平安を失っているときには、頭の中に決まって否定的な言葉が渦巻いています。

そうした言葉に向かって聖書の言葉を持って立ち向かうのです。

思い乱れている心に向かって、「神がおられるから大丈夫、神はどんな時も私たちを強め、最善の道を開いていて下さる、今のこの時のどんな不快な経験も、自分1人で経験しているわけではなく、共におられる神がいつも一緒に居られる」と語り続けるのです。

あなたが、悲しんだり、怒ったりする以前に、神はその状況があなたに起こることを知っているし、その状況を乗り越えることができるようにあらかじめあらゆる道をすでに備えておられるのです。

感情に流されて、神から離れてしまう前に、過去と今のあらゆる恵みに感謝するのです。

すると、不思議なことにあらゆる大きな問題は小さく見えてきて、人生を大きく包み込んで導いておられる神の愛があなたを取り囲んで、不思議な平安で満たされることになるでしょう。

そうやって心をコントロールできるときに、私たちは本当の幸せと充実感を感じることができるようになるのです。

火の中を通して導かれる

“あなたは人々に私たちの頭をまたがせ私たちは火の中水の中を通りました。しかしあなたは私たちを豊かな所へ導き出してくださいました。”

詩篇 66篇12節

今は思いがけない試練の中にあるかもしれません。

何をやっても空回りをして思うように事が進んでいないように感じるかもしれません。

でも聖書は語っています

火の中を水の中を通るようなことがあっても、必ず豊かな所へ導き出してくださると。

豊かな所と言うのは、ただ単に物質的に豊かになると言う意味だけではなく、あなたの心が様々な試練を通して強くされ、引き上げられ豊かになっていくということです。

私たちは、様々な困難に遭遇するたびに、その中で色々と考え、そして行動します。

そして、どんなに考えてもがんばっても、自らの力では、なかなか状況を変えることができない時、私たちは自らの力を超えて人生を導いておられる大きな力に気がつくことがあるのです。

私たちの人生を導いておられる神がどんな時も共におられることに気がつくのです。

それがまさに心が豊かになると言うことなのです。

どんな状況の中にあっても、心が神の導きと守りで強くされる時、今に集中することができるようになります。

なぜなら、自分にコントロールできない過去と未来は、神の手の中にあることを知るからです。

その時、私たちの中にある神に与えられた才能が、ますます大きく用いられて、神の働き人として素晴らしい人生を送ることになるでしょう。

人生の方向性を決める言葉の力

“ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。”

ヤコブの手紙 4章7節

なんとなく気分が晴れない時、力が湧いてこないのになかなかその状態から抜け出せないことはないでしょうか?

そんな時、もう一度心の中に響いている言葉をよくチェックしてみてください。

聖書がここで語っている悪魔は、神があなたに与えられた素晴らしい働きを止めようとする否定的な力のことです。

その力は、言葉によって、あなたの中に語りかけられているのです。

否定的な言葉を放っておくと、知らず知らずのうちに、あなたの中に住み着いて、神に与えられた力と可能性を奪っていくのです。

でも、聖書は、そうした力に対抗する武器として、素晴らしい言葉をたくさん与えてくれています。

「あなたはそんなことはできないとか、それ以上伸びない」とか言った言葉を聞く時、「正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる(箴言4:18)」と聖書の言葉で対抗していくのです。

あらゆる時に、内に響く否定的な言葉を聖書の言葉で打ち消していく時、あなたの中に神が与えられた素晴らしい才能が引き出され、道が開かれていくのです!

すでに癒されている

“イエスは振り向いて、彼女を見て言われた。「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、その時から彼女は癒やされた。”

マタイの福音書 9章22節

この聖書の箇所を見ると、「イエスが娘を癒したのです。」ではなく、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と語られているます。

神の働きは既にあるのです。

神の大きな働きを進めるための鍵は、 実は私たちと神の間にある壁を取り除くことなのです。

全世界をコントロールしている大きな力が、あなたの人生の 上にも働いて、今まさに状況を一つ一つ変えようとしているのです。

それは思うところを願うところを遥かに超えたすばらしい働きなのです。

自分の凝り固まった考えや、社会の人々の常識な考えにとらわれることなく、 大きな変化が起こることを信じて一歩踏み出す時、 この娘に起きたような奇跡的な変化が、あなたの人生にも起こるのです!

嵐の中で

“訪れの日、遠くから嵐が来るときに、あなたがたはどうするのか。だれに助けを求めて逃げ、どこに自分の栄光を残すのか。”

イザヤ書 10章3節

船が周囲にどんなに水があっても、船自体に穴が開かない限り、船はどんな大海の中にいても、沈む事はありません。

どんな嵐が船の周りで吹き荒れていても、船の甲板自体が水に覆われない限り、船は沈む事はありません。

同じように、私たちの人生の中にどんなに大きな荒波と思えるような逆境や困難があっても、それをまともに受けずに、神とのつながりから作られる強固な壁を 自分の周りに築いているならば、 必ず嵐は止み、 新しい世界へと進むことができるのです。

また 神との関係がないために、自らの周りの壁を失って、外からの 荒波と水を受けて沈みそうになっても、神の存在を知って、共に歩む様になる時、神はあなたの周りにヒビが入った壁を修復し、そしてまた強固な壁を築き、周囲の状況が変わらなくてもその嵐の中をまっすぐに進むことができるように導いてくださるのです。

そしてやがて嵐の中をくぐり抜けた時、ますます強固な壁を持って大きな荒波に立ち向かっていくことが出来るようになるでしょう。

やがて今まで見たこともなかったようなもっと素晴らしい世界が一つ一つ開かれていくのを見るのです!

よみがえり

“ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。”

ルカの福音書 24章6節

昨日はイースターでした。

イースターはイエスが十字架につけられて葬られてから、蘇ったことへのお祝いの日です。

イースターは過去の出来事ではありません。

イエスを死から蘇らせることのできた力が、今もあなたの人生に働いているのです。

死から蘇るなんて、人間的には不可能と思えることが、神の力によってなされたのです。

そして、今も世界中の人々の心の中にその同じ力が、働き続けているのです。

奇跡的な力の働きによって、道が開かれたり、病が癒やされたり、救われたりする人は今も生まれ続けているのです。

死をも乗り越える大きな力の存在に気づき、そこに焦点を当て続けるとき、目の前のどんな大きな困難も小さく見えてきます。

そして心が強められ続ける時、どんな困難にも立ち向かっていく力が与えられ、輝かしい未来が見えるようになるのです。

人はそうやって希望を持ち続ける時、今できることから行動し始め、次々と扉が開いていくのを見るようになるのです!

許し

“互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。”

コロサイ人への手紙 3章13節

許しは聖書の至るところで語られていますが、実生活において、自分に不利なことをされたり、理不尽なことを言われたりすると、それを許す事は難しいものです。

しかし、許しは、ただ単に神の愛を人々に伝える機会になるだけではなく、許しを通して、私たち自身が自由になることができるのです。

自分が不利なことをされたりしたときに、その人を許すと言う事は、結果的に、あなた自身が、その否定的な影響から自由になると言うことなのです。

許せないときには、自分がが正しくて、周囲が間違っていると言う、自分が作り上げた根拠が必ずそこにあります。

それは、物事に対する価値観の違いであったり、それまで自分が受けてきた様々な教育や影響や環境の違いから生まれる、理解できないものであったりすることがあります。

理解できないからこそ、自分の考えが正しいと思い相手の言うことが間違っていると思い、そしてそのギャップが人を許すことのできないことにつながっていくのです。

しかし、自分の考えがいつまでも完全だと思い、許せないでいると、そこから生まれた否定的な感情が、結局は自分の可能性を狭めてしまうことになるのです。

人はいくつものことを同時には考えれないので、否定的なことに目を奪われれば、奪われるほど、神の大きな恵みについて考えることがますます難しくなってしまいます。

視点を神に移す時、神はあなたが言われたことや、置かれた環境を、全て見て知っておられることに気が付きます。

そうすれば、周囲の人がどんなことを言おうと、どのような立場に置かれようと、神が全て見ておられ、コントロールしておられ、必ず最善に導いてくださるという確信を得て、否定的な感情から自由になることができるのです。

人を許すことができない時、いつまでも否定的な感情の中にとらわれて、悪いサイクルに入ってしまって、結果的に神に与えられた大きな可能性を狭めてしまっているのだと言うことを忘れないでください。

神に視点を向ける時、今の目の前にある小さなことには囚われなくなるでしょう。

そして、神の大きな計画とスケールに目を合わすようになり、そのことの実現のために得る力とエネルギーを救うことになるでしょう。

そうすれば、あなたの人生は、やがて神に導かれ素晴らしいものへと変わっていくのです。

神につながる

“わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。”

ヨハネの福音書 15章4節

神の素晴らしい守りと導きを知る時、もっと平安に満たされた素晴らしい人生を送ることができるようになります。

でもどうやって神につながり続けるのでしょうか?

それは外界の一切の雑音をシャットアウトして静かに自分と向き合うところから始まるのです。

今の世の中には本当に多くの情報が周囲に溢れ、インターネットやメディアやSNS等の様々な情報媒体を通して、いろいろな刺激を受けています。

そうした者は私たちの視野を広げ人生を豊かにしているように思えますが、実はそうした外からの情報だけに いつもさらされていると、いつの間にか静まって内に響く神の声を聞くと言う、 本来人間が神に与えられた 最高の素晴らしい能力を失ってしまうのです。

神はあらゆる時に語りかけ、 いつも温かい視線で見守りどのような時も最善の道を用意して、 生きている限り素晴らしいもので満たそうとされているのです。

ところがいつの間にか周囲の様々な雑音によってそうした神の愛や、導きが わからなくなっているのです。

静かに自然の中で川の流れる音を聞いたり小鳥がさえずっている声を聞いたり風の音を聞いたりまた温かさや寒さや風を 純粋に受けて感じるのです。

神が造られた自然の中に自ら置いて心を空っぽにする時、 神の小さな声を聞くことができるようになります。

そしてどんな小さな事でもその時に神から示された事はすぐに行動に移して一つ一つやってみるのです。

結果が良くても悪くても、神の声に従った行動をとったときには心の中に平安があるものです。

神の声を退けて無理に 違った方向に行こうとしたり、神の声がわからなくなってただ暗中模索していると、心の中の平安が消えてしまいます。

平安と確信、静けさは神がいつも 共におられるサインです。

その感覚を大切にして歩み続ける時、あなたの人生はもっと素晴らしいものに変わっていくことでしょう。

声に素直に従う

“今、行け。わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」”

出エジプト記 3章10節

神の声に聴き従うことは、心を本当に豊かにするためのカギです。

神の声に従うときには静と動があります。

絶対にこうしたいと思うことがあってっも、その通りに道が開かないことがあります。

できる限り精一杯頑張ってみても、思ったように結果が出ないことがあります。

そんな時、一旦無理に押し続けることをやめて、少しペースを緩めて、ときには、立ち止まって、神の声に従って待つことも神の声に従うことになるのです。

自分の力だけで無理強いして扉が開かないときに、ふと立ち止まると、いつも暖かい目で見守って優しく小さな声で語っておられる神の声に気が付くことがあります。

あまりに急いでいたり、焦っていたりすると、そうした大切な声を聞き逃してしまうことがあります。

また、神は、時には、とてもできそうにもないような大きなことにチャレンジすることや、大きな環境や方向性の転換を促す時もあります。

その時に、どれだけ素直に神の働きと導きを信頼して行動をすることができるかどうかが、あなたの人生の人生に現れる神の働きの大きさを決めるのです。

多くの場合、周囲の人々は、そうした大きなチャレンジや方向転換に際して、あまり賛成ではないものです。

自分のことをよく知っていると思っていた人に限って、あなたが神から聞いている声と反対のことを言うものです。

自分の中の不安から生まれる否定的な考えが、神の声を打ち消してしまうこともあります。

私たちは先が見えないようなことに対して行動を起こす時には、不安から動けなくなるものです。

しかし、どんなに今の自分には不可能になるようなことであっても、今の自分には到底できないと思えるようなことへのチャレンジであっても、神があなたにそうやるように促し、神の声を聞いたのなら一歩踏み出すだけなのです。

神は、今の環境から飛び出して、さらなる成長のために、新しい環境を用意しておられるのです。

神への完璧な信頼がある時、新しいチャレンジによって、どのようなことが起きようとも、神がいつも一緒にいて、必ず助けて道を開いてくださると信じる時、私たちは大胆に神の導きに従って行動をすることができるのです。

神の声に従った静と動のタイミングは、全てあなたがどれだけ神に信頼して歩んでいるかにかかっているのです。そして待つ時も行動を起こす時も、どこまでも神に忠実であれば、思うところ願うところを遥かに超えた素晴らしい世界へと導かれることでしょう!

目が見たことのないもの

“とこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。あなた以外の神が自分を待ち望む者のために、このようにするのを。”

イザヤ書 64章4節

神は思うところを願うところを遥かに超えた素晴らしい人生を用意しておられます。

今の現状だけを見ているととてもそのように思えないことがあります。

だからこそ周囲には否定的なニュースが溢れていることでしょう。

でもそんな時にこそ、本当の 希望は、神のこの約束の言葉からやってくるのです。

どんなに今そんなに素晴らしい状況につながるようなきっかけが見えないとしても、上は今の状況を通して自分を変え、最善のタイミングで 次の素晴らしいステージを用意しておられると言うことを信じているときに、今の状況がどんなに大変でもその中であきらめずに全力を尽くし続けることができるのです。

よく毎日の小さなことを中に喜びを見出して楽しんでいきましょうと言われることがあります。

でも本当の試練の中 にいるときには、 そんなことができないこともあります。

それでもこの聖書の言葉 に信頼 があるときに、前に進む力が生まれてくるのです。

聖書の中にはこのような希望と力を与えてくれる言葉がたくさんちりばめられています。

それを自らの内に蓄え 続けるうちに、あなたの人生は素晴らしい方向へと変わっていくのです!

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