人の策略が無になるとき

彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすればイエスをうまく引き渡せるかと、その機をうかがっていた。

マルコの福音書 1411

イエスが十字架にかけられるに至った時の経緯です。

ユダが賄賂を受け取って、イエスを刑にかけるチャンスを作るとことになったのです。

あまりにも神の素晴らしい働きを次々と行い、人々に大きな影響を及ぼしていたために、イエスは逆に一部の人から妬みと恨みを買って、十字架につけらることなったのです。

イエスが人々を癒していた時には、彼の働きを絶賛していた群衆も、一部のリーダーによって、イエスの行いは神を冒涜していると信じ込ませられて、いつの間にか、イエスを十字架につけることに賛成していたのです。

こうした人々の策略や、変わりやすい感情はいつの時代にあっても変わらず、歴史の中で、同じようなことが繰り返され、今の社会でも同じようなことが起こっています。

聖書は人間の本質を様々なストーリーを用いて極めて正しく描写しています。

同時に、聖書は、神の正しい働きはあらゆる人間的な策略や働きを大きく超えて働くことも語っています。

イエスは自分が十字架につけれらることも神の計画の一部であることを知っていました。

そして、自分の命をかけた神の計画に忠実に従ったのです。

その後、イエスの働きは、それを止めようと計画した人々の働きをはるかに超えた大きなスケールで、とどまる事なく広がり続け、現在に至っているのです。

正しいことを継続しながら、報われない状況におかれることがあります。

しかし、神はあなたの一つ一つの神の前に忠実な働きを確実に見ておられるのです。

神に喜ばれる働きをしているのなら、たとえ人々に一時的に認められないことがあっても何も恐れることはないのです。

私たちは、時々、あまりにも人々の評価を気にしすぎて、神の前に正しい行いを取れなくなっている時があります。

あなたの心の中に、いつも神が共におられるとき、周囲の声に振り回されることなく、真っ直ぐに正しい道を歩み続けることができ、神の力を受けて、素晴らしい働きに繋がっていくのです!

委ねる時にスケールが大きくなる

“あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。”

箴言 16章3節

私たちは自分の考えの中だけで将来を考えているうちは、極めて限られた世界の中でしか生きる事が出来ません。

私たち達の人生を神に委ねる時、神は必ず今の自分には到底不可能に思えたり、全く常識的な損得勘定では割に合わないような理不尽な事へのチャレンジを求められます。

しかし、神の完璧な導きを信頼するようになると、そうした一見無謀に見える事に進んでチャレンジできるようになるのです。

何故なら神の働きはあらゆる人間的な考えをはるかに超えている事を信じているからです。

そして、当然とんでもないレベルの試練に合います。

継続的な圧倒的な努力と戦いがあります。

しかし神に対する完璧な信頼がある限り、決して諦めないのです。

同時に、そうした一見ストレスを感じるような奮闘の中にあって、神が導いてくれる事を信じていると、今できる事に集中して、手に負えない事は神に任せるので、以外にも心の中は平安なのです。

そうして自分の利益をはるかに超えた大きなビジョンにチャレンジし続けるとき、大きな神の働きをみて、素晴らしい人生が展開していくのです!

語ると開ける

“「私は信じています。それゆえに語ります」

コリント人への手紙 第二 4章13節

知っていることと本当に体験を通して体に染みてわかっていることの間には大きな隔たりがあります。

神の働きも同じです。

聖書を読んだり、いろいろな話を聞いて神の働きのスケールの大きさ、素晴らしさを知っているところから、それを自分の人生を通して実際に体験するところまで引き上げられて、はじめて神と共に歩む事の素晴らしさを本当に知る事になるのです。

神の働きを見るようになるために最も大切な事は、神の約束の言葉を口に出して語ることです。

特に神の働きをまさに必要とする逆境の中において神の働きを宣言する事が大切です

つい不平不満や文句を言いたくなる状況の中で神の働きによって状況が変わり、道が開かれる事を語りつづけるのです。

やがて本当に神の働きによって奇跡的に状況が変わります。

そうやって神と共に歩むようになったあなたは、どこまでも高く引き上げられていくのです!!

導きを知る

“わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。”

ヨハネの福音書 15章5節

神に繋がって導きを求めるというと、何が神からの導きなのかわからないという声を必ず聞きます。

そしてそういう人は、往々にしていろんな人のアドバイスを求め、懸命にいろんな人の教えを学ぼうとする事に忙しくなって、じっと神の導きを聞こうとしないものです。

現代のスピード社会では、なんでも即席に答えを求める傾向が強くなっているので、すぐに答えが返ってこないような神との対話を真剣に求めることがますます難しくなっているのだと思います。

そして即席に答えをくれる人々のアドバイスを求めるのです。

しかしアドバイスをくれる人は、実はあなたのことをわかっているようで何も知らないものです。人々は限られた自分の経験に基づいてあなたの状況を推測していろんなことを言うのです。

創造主でありあなたの命の与え主である神が本当にあなたの人生を、生まれてから死ぬまでデザインしているのです。

神との交わり、繋がりは一朝一夕にはできません。

常にあらゆる小さな神の恵みを感謝して、神からのメッセージを聖書を通して受け続けるうちに、神との繋がりは強くなってくるのです。

そして神への完璧な信頼が生まれる時に、神の導きがわかるようになるのです。

誰でも信頼できない人のアドバイスは進んで聞くことができないでしょう。

神は紳士なので無理矢理いろんなことを押し付けて語ったりはしないのです。

あなたが心を開くまでじっと待っていて、そっと気づかれないように守り導いているのです。

あなたがラッキーといって神の働きである事を全く忘れていても、そっといつも働いておられるのです。

そしてあなたがその事に気がついて、神に心を開き、信頼を寄せることができるようになったとき、あなたの人生は神の導きに従って思うところ願うところをはるかに超えて素晴らしいものになっていくでしょう!

本当に人生を豊かにするもの

“なぜなら、神の国は食べたり飲んだりすることではなく、聖霊による義と平和と喜びだからです。”

ローマ人への手紙 14章17節

私たちは本当に大切な平和な心、喜び、希望、良心といったものはすべてお金では買えない事を知っていながら、何とかそうしたものを手に入れようと努力します。

様々なイベントや高級なものや食事等は確かにある程度そうしたものを高めるのに役立つでしょう。

しかし、そういった満たし方は一時的なのです。

念願のものを手に入れたと思ったらしばらくしたらまたいつもの日常に戻っていたという事はありませんか?

自分を豊かにすると思っていたものが逆に生活を複雑にしてしまったということはありませんか?

本当にお金では買えない大切なものを、常に満たすために必要なことは、実は毎日の小さな事の継続的な積み重ねなのです。

毎日の定期的な運動、食事のバランス、心を前向きに保つための神との交わり等は一つ一つは小さな事です。

そして多くの本当に大切なものは、神からのフリーギフトなのです。

しかしそうした小さな事を毎日欠かさず継続することが大切なのです。

大きな成果がすぐには見えないものです。

しかし年単位での小さな事の積み重ねは確実にあなたの人生を変えていくのです!

どうやって今に集中するか

“ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。”

マタイの福音書 6章34節

私たちが思うように結果が出せない時には、圧倒的な量とスケールの行動が不足していることがほとんどです。

日々忙しくしていて十分な量の行動をとっていると思っても、結果が伴っていない時はもう一度どのような行動をとってきたかをよく振り返ってみて見る必要があります。

行動のスケールが小さく、同じレベルのことを繰り返していることがあります。

行動のスケールが大きく新しくならない理由は、自分の考えを越えた神の大きなビジョンを受けていないか、新しく大きなスケールの行動に恐れと不安を感じて、足を踏み出せずにいるからです。

誰でも自分の経験したことないレベルの事にチャレンジしようとすると、恐れや不安を感じるものです。

その時に恐れや不安に捕らえられてしまうと、躊躇してすぐには前に進めなくなり、いろいろと言い訳をつけて、また快適な今までのレベルの行動を続けてしまうのです。

神の完璧な導きと守りを信じ始める時、そうした恐れや不安から自由になり、躊躇することがなくなるので、結果的に行動が速くなり、行動のスケールと量が広がるのです。

さらに不必要な心配から解放されると、今日、今やる事に集中できるようになって、ますます行動のスケールと量が広がるのです。

神と共に歩むようになったあなたは驚くような成果を出すようになる事でしょう!

尽きない恵み

実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。”

哀歌 3章22節

子供が楽しく遊んでいるのを見ると、ついもっと楽しませてあげようといろいろな手を尽くすものです。

そして子供が喜ぶのを見るとこちらも嬉しくなります。

人間の親がそうであるならば、天の親である神はなおさらです。

あなたが日々の生活の中で喜びと感謝に満ちて歩むのを見ると、神も喜んでもっとサポートしてあげようとされるのです。

人間の親にはできることに限界がありますが、神には限界がないのです。

日々の小さなことに感謝して喜んで歩む時、私たちの人生はもっと素晴らしいものになっていくのです!

栓を開ける

『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』”

マルコの福音書 12章31節

人々に対して寛容で優しく接するためには、まず自らの内がしっかりと満たされている事が大切です。

ともすると私たちは自らの誤ちや失敗について、自分で自分を責めたり、過去を悔やんだりすることがあります。

しかし完璧にあなたを導き、あらゆる誤った行いに寛容である神は、決してあなたを責めたりしません。

どんな間違った方向に進んでもそこからまた軌道修正して導くことが出来るのです。

そればかりでなく、誤った行いと思っていたことさえも、成長の糧として用いることができるのです。

こうした神の完璧な愛と寛容さを受けて、自分の内が満たされる時、初めて人に与えることができるものに変えられていくのです。

ちょうどコップに勢いよく注がれた水が溢れてコップの周りを潤すように、あなたに注がれた神からの圧倒的な愛は周囲の人を自然と潤すようになります。

人間関係をよくするためにいろいろな教えがありますが、そうした事を意思の力だけで行おうとしてもなかなか上手くいかないものです。

神との繋がりのパイプを開いた途端、勢いよく神の愛があなたの中に流れ込み、世界が変わり始めます!

上を見上げると

“私が主を求めると主は答えすべての恐怖から私を救い出してくださった。”

詩篇 34篇4節

聖書の中で最も神に用いられた最高の勇士の一人であるダビデも恐怖におそわれていた時があったのでした。

聖書の素晴らしいところは、決してただの励ましや希望、教訓を与える書物ではなく、人間の弱いところを含めて、人間の本質を極めて明解に描写しているところです。

その上で私たちと神との関係を語り、弱い私たちがどのように神によって強められ、神の大きな働きのために用いられるかを述べています。

どのような恐怖と不安の中にあっても、現状の問題から目を離し、神を見上げて、神の導きに信頼して歩む時、まず心が軽くなり、強められます。

外の状況がどうであっても、内が神によって強められている限り、どんなことにでも対処出来るのです。

やがて外の世界が変わり始め、神の働きが確実に進むのを見ることになり、神と共に歩むことの素晴らしさを知るでしょう。

一旦神の力がいつでも手の届くところにあり、その力がどんなに凄いものかを知ると、あなたは決して自分の力だけでは歩もうはせず、神と共に驚きに満ちた人生を送ることになるでしょう!

嵐の中を真っ直ぐに進む

“彼は言い争わず、叫ばず、通りでその声を聞く者もない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。さばきを勝利に導くまで。”

マタイの福音書 12章19~20節

イエスは生涯を通して神の子として数々の奇跡的な働きを成した一方で、多くの非難に会いました。

特に律法学者と言われる神の事をよく知っている人々からの中傷を受けたのです。

そして最後にはイエスの奇跡を受けて喜び感謝していたはずの民衆からも非難されて人々の罪を負って十字架につけられたのでした。

イエスほど正しい行いをした人はいません。

しかし彼も多くの非難にあったのです。

私たちは正しい事を行なっていても正当な扱いを受けない事があります。

その時こそ、神に信頼して真っ直ぐに歩み続けるべきなのです。

人は必ずしもいつも正しい評価を下すとは限らないのです。

人は間違いをするものなのです。

どんな扱いや評価を受けようと、正しいことを行なっていれば、神があなたの働きを見ています。

イエスが行ったように人々への思いやりと愛を忘れず、人々の非難にいちいち反応せずに歩む時、神がイエスの働きを2000年以上に渡ってさらに影響力を増して用いているように、神があなたのために働いて、必要な扉を開けてくださるのです!

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