心の中の台風から逃れる

“すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”

マタイの福音書 11章28節

心の中が台風のようになって休まらない時、いろいろ考えることがある時、不安に襲われるとき、気分が晴れない時には、多くのことを何とかしようと抱えているものです。

私たちに与えられた時間もエネルギーも限られているので、出来る事にはいつも限りがあるのです。

神の限界を超えた働きを信じるようになると、何とかそれを見ようと、限界を超えて頑張ってしまう事があります。

しかし神は私たちに何ができるかを知っているのです。

自分にできる精一杯をやったら後は神に任せるのです。

全て自分で何とかしようとしていた時にはただひたすらに頑張っていたかもしれません。

ところが神の助けと働きを知った時から、自分が頑張るべき部分と神に任せる部分がわかるようになるのです。

そして必要以上に無理をすることなく必要なところに力を集中できるようになり、結果的にもっと大きな成果を出せるようになるのです!

本当の価値

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

イザヤ書 434

神はあらゆる時に私たちに愛を注ぎ、私たちの行く道を見守っておられるのです。

社会はあなたの失敗や誤った行いに対して厳しい評価を下すかもしれません。

あなたのこれまでの成果に基づいて、あなたの将来の方向性を決めようとするかもしれません。

しかし、神はあなたが失敗や誤った行いをすれば、また新しい最善の道をあなたのために備えてくださるのです。

あなたが過去にどんなことを行なっていても、神はあなたを過去の働きで評価したりしません。

あなたが周囲の人にどのように評価されようと、扱われようと、あなたは神にとって常に高価で尊い存在なのです。

神は私たちの目には見えないので、容易にに見たり聞いたりできる周囲の、社会の自分に対する評価をそのまま受け入れてしまっていることがあります。

ダイヤモンドの原石が石のように見えても、その本質の価値は決して変わらないように、あなたの本当の価値は創造主である神にとっては最高のものなのです。

あなたが、神があなたを見るように、自分自身を見始める時、自分の中に決して揺るぐことのない価値観が形成され、眠っていた可能性と才能に気がつくようになるのです。

そうして、あなたの人生は輝き始めるでしょう!!

不思議を思い出す

“これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。”

詩篇 118篇23節

あなたの人生を振り返ってみると、自分の力だけとは思えない不思議な働きによって道が開かれた経験がきっとあるでしょう。

偶然の出会いや、ふとした思いつきや一本の電話やメールによって大きな転換点を迎えたことがあると思います。

それらの経験をただの偶然や幸運な事として片づけるのではなく、神の導きとして何度も思い起こすのです。

ただ単にイメージとして思い出すだけではなく、その時の感情をしっかりと再現するのです。

そうして過去の神の働きをひとつひとつ、驚き、喜び、感謝の感情をもって思い出していると、どんなに気落ちしている状況の中にあっても、神がいつもそばにいて、確実に導いていてくださる事を実感して、喜びと力が湧いてくるでしょう。

それを積み重ねるうちに、きっと毎日が楽しくなるでしょう!

焦点を合わせる

ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。

マタイの福音書 1430

ペテロはイエスが水の上を歩いているのを見て、イエスにあなたにもできるから水の上を歩いてこちらに来なさいと言われて、水の上を歩き始めたのでした。

ペテロがイエスだけを見ている間は、問題なく水の上を歩いていたのですが、周囲の強風を見た途端に怖くなり、沈みかけたのです。

神が与えてくださる可能性や、ビジョンに目を向けている時には、内から希望と力が湧いてくるものです。

ところが、一旦周囲の状況や、人の常識的なアドバイス、不平不満に耳を傾け始めると、途端に気力が失せてしまうのです。

あらゆる時に、神のスケール、力、希望、愛に目を向け続けるのです。

時にはあなたを失望させるような状況に遭遇することもあるかもしれませんが、神にまた目を向け続ければ、必ず内から希望と力が湧いて来ます。

そうして、周囲の状況や環境によってでなく、神とのつながりの中から内から力を得て歩むことができるようになる時、どんなに倒れても、また立ちあがって前進し続けることができるようになるのです。

そして、水の上を歩くような奇跡的な働きができるようになるのです!

神の仕事を取らない

ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

マタイの福音書 634

私たちの人生には予測できない事がつきものです。

将来のことはもちろん、明日のことすら、何が起こるかを完璧に予測することはできないのです。

そんな当たり前のことがわかっていながら、ついつい将来のことを心配したり、何とかしようとして色々な策略を練ったりするのです。

将来のことは神の仕事です。

どんなにあなたが完璧に将来の計画を練ったところで、その通りにはいかないものです。

もし、何でも自分の計画通りにことが運んでいるとすれば、それはただ単にあなたの計画のスケールが小さいだけです。

自分の頭の中で考えられることや予測できることの範囲内で行動している限りは、計画も役にたつかもしれません。

しかし、神のスケールのことにチャレンジし始めると、予測がつかないことだらけになるものです。

やることが全てあなたの考えられる範囲のスケールを超えるからです。

この時に、将来のことは神に信頼して、今できることに集中するか、将来のことをいつまでも考え続けるかによって、人生が大きく変わってくるのです。

私たちは、将来のことを案ずるがあまり、今できることに集中できなくなり、何も手付かずになっていることがあります。

あなたが神に信頼することができるようになればなるほど、今のやるべきこと、できることに集中できるようになり、結果的に行動の質と量が向上し、それが神の働きを大きく進めるようになるのです。

今日1日、今に集中し、神の導きに素直に従って歩むようになると、人生が驚くほどシンプルになり、スケールが大きくなり、素晴らしいことが次々と起こるようになるのです!!

他人を潤す

“おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。”

箴言 11章25節

私たちが神につながる時には、神が必要なもの全て備えてくださっていると言う本当に満たされた感覚が生まれるようになります。

そして自分の内が満たされているとき、人々に与えることができるようになるのです。

内が満たされる事は、経済的に物質的に外が満たされることとは異なるのです。

心の中が神の働きと導きによって、人生に必要なものが全て備えられていると言う確信によって満たされている時、自らの才能を最大限に用いて人々のために行動することが出来るようなものになるのです。

豊かな社会の中にあっても、何かが足りないという不足感にとらわれることがあります。

私たちに本当に必要なものは実はそんなに多くは無いのです。

そして本当に大切な健康、愛、希望、喜び、充実感といったものは、お金では買う事は出来ず、神との繋がりの中から贈り物として受け取る事ができるものなのです。

多くの人がこうした神からのフリーギフトを無視して、自分の力で何とかしようとして、満たされない感覚から、何か失うかもしれないという恐れから、進んで人に与える事ができず、悪循環に陥っているのです。

あなたの内が神からの贈り物で満たされる時、あなたは失う恐れもなく、進んで人のために動く事が出来るようになり、驚くように人生が変わっていくのを見るようになるでしょう!!

すでに手にある

ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

マルコの福音書 1124

これはまさに全ての物事に当てはまる真実です。

どんなことでも、それが起こるかどうかは、どれだけ本気で出来ると信じることができるかにかかっているものです。

私たちはしばしば自分の常識的な小さな枠の範囲内で物事を考えてしまいます。

あなたの神との繋がりが強くなればなるほど、神はあなたに不可能としか思えないような大きなことへのチャレンジを求められます。

なぜなら神のスケールは、あなたの考える最善をはるかに超えているからです。

神を知らなかった時は、常識的な平凡な日常を過ごしていたでしょう。

しかし、神からの強い導きを受けるようになるととんでもないチャレンジに会うものです。

それは、神があなたにはそれを乗り越える事が出来ることを知っているからです。

周囲の人にはそんなことはできないと言われるかもしれません。

しかし神との繋がりを持ち神の導きを信じるあなたは、もはや常識的な周囲のアドバイスなど気にせずに、必ず神が成させてくださる事を信じて進んでいるはずです。

そうして、神と共に自分の最善を遥かに超えた素晴らしい人生が展開していくのです!!

新しい事が起こる

見よ。わたしは新しい事をする。
イザヤ43:19

神の働きは私たちの思うところ願うところを遥かに超えていつも素晴らしいのです。

私たちが本当にこのことを心に留めるとき、私たちの心の中にある限界が消えます。

そして私たちは神の働き人としてますます大きく用いられるようになるのです。

神を知らない時、あなたは全て自分の力でなんとかことを起こそうとしたことでしょう。

人のアドバイスに従い、世の中の常識的な教えに従い、一生懸命に最善の道を探し求め、最大限の努力を積んできたかもしれません。

しかし、あなたが人の考えと、社会の常識に従っている限りにおいて、人間の限界から逃れることができないのです。

神の素晴らしい働きを信じて、神の導きに従って歩み始める時、必ず一見非常識な、とても不可能に思えるようなことに挑戦するようになります。

きっと周囲の人は、そんなことはできないとか、あなたにはそんな才能はないとか、そんな前例がないとか言うでしょう。

しかし、人の考えるスケールからはみ出た行動を起こすようになったあなたは、真に神の導きに従っているのです。あなたの中には、神がともにいるから絶対に大丈夫だと言う確信があるでしょう。

やがて、とても常識では考えられないサポートを得て、道が開かれ、あなた自身が、神とともに歩むことの素晴らしさを誰よりも知ることになるでしょう。

一旦、神の働きのスケールの大きさを知ったあなたは、もう人間的な狭いスケールでの戦略に乗ったりしません。

どこまでも限界を超えて、神の働き人として、用いられ、神に導かれてどこまでも大きくはばたいていくのです!!

中心の変化

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。

マルコの福音書 1044

私たちは、自分の人生、自分の成功、等々、自分の事を中心にいろんな事を考えがちですが、神に与えられた人生を神とともに歩む時、私たちの内から自分を中心とした考え方がなくなっていきます。

人生は神からの贈り物である事を感謝し、全て自分の力で何とかする事をやめ、神のもっと大きな計画に委ねて、平和な心を保ちつつ、今自分にできることには極めて誠実に、忠実に、着実に落ち着いて取り組むようになります。

現在の社会にあっては、何とか自分を良く見せようと、競争に勝とうと、早く結果を出そうとするあまり、本当にやるべき事をおろそかにし、本当に大切なものを失っていることがあります。

神に導かれて歩むようになり、自分中心の考え方から開放されると、人のために動くことが極めて容易になります。

多くの人間関係の問題は、自分を中心とする価値観の違いから生まれるので、あなたが自分の内に神の存在を意識するようになると、人の価値観を用意に理解し、尊重できるようになり、驚くほどいろんな複雑な問題がシンプルに見えるようになり、正しい判断と行動が取れるようになります。

信仰を持つことの本物の力はここにあるのです。

神を知らない時は、自分のための人生を自分で一生懸命にデザインし、思う通りにいかないことにいちいちストレスを抱えていたでしょう。

ところが、神に導かれて歩むようになると、驚くほどいろんなことから自由になり、あなたの言動が素直になり、あらゆる日常生活の隅々に落ち着きが生まれるようになります。

結果的にあなたの確実な人のための働きは実を結ぶようになり、神の大きな御手が動くのを見ることになるでしょう。

そして、あなたは神の働き人として、どこまでも大きく用いられていくようになるのです!

備えられた転換点

エッサイは息子ダビデに言った。「さあ、兄さんたちのために、この炒り麦一エパと、このパン十個を取り、兄さんたちの陣営に急いで持って行きなさい。

サムエル記 第一 1717

旧約聖書に登場する勇士の一人であるダビデは、誰も倒すことができなかった巨人の戦士ゴリアテに勝利することによって、人生に大きな転換点を迎えたのでした。

しかし、その転換点に至るまでは、彼は自分に与えられた場所で、自分の任務にただ忠実に日々過ごしていただけたのでした。

父から与えられた限られた数の羊の世話をすることに専念していたのです。

羊を守るために、石投げ器を使って、あらゆる猛獣から与えられた羊を守るための訓練を日々重ねていたのでした。

彼が普通の人と違った点は、彼が自分に与えられた環境の中で、自分の全てを捧げて最大限の努力を積んでいたことでした。そして、彼の石投げ器の腕は一流のレベルに達していたのでした。

それは200mの距離から100kn/hのスピードで石を投げ、顔の目や鼻といった各部分を命中させることのできるレベルだったと言います。

そして、必要があれば、獅子や熊の髭をつかんで格闘していたと言います。

しかし、家で飼っている限られた数の羊を守るだけの隠れた働きは、人々に知られることもなく、認められることもありませんでした。

そればかりでなく、ダビデは末っ子だったので、兄たちが一流の戦士としての訓練を受けいている中で、度々このように使い走りとして、この聖書の箇所にあるように、度々使い走りとして用いられていたのです。

ところが、神は、ダビデのそうした忠実な働きをしっかり見ていて、大きなチャンスを与えたのでした。

ある日、この聖書の箇所にあるように、ダビデは戦場に使いに送られます。

そこで、兄弟を含む自分の国の戦士が、敵の巨人の戦士ゴリアテを前にして、怯んでいる様子を見たのでした。

この巨人を倒せば、国の王になり、必要なものは何でも与えられると言われていましたが、ダビデはそうした報酬には目もくれず、ゴリアテが神を侮って戦いを挑んてくる姿勢に、憤りを感じて、周囲の反対を押し切って戦いを挑んだのでした。

ダビデは人がつけている鎧も劔も持たず、自分が一心不乱にそれまで磨いてきた石投げ器の技術のみを用いて、神の働きを信じて戦いに挑んだのです。

その後の展開は、この聖書の箇所に続くところが語っているように、圧倒的な勝利になり、ダビデの人生は、大きく変わったのでした。

あなたにも、今は誰にも認められない働きがあるかもしれません。

しかし、今できることに忠実に、自分の全てを捧げて一心不乱に取り組み続け、自分に与えられた才能を磨くために最善の努力を続けるとき、ダビデが石投げ器を用いてゴリアテに勝利したように、神があなたの磨かれた才能を発揮して、大きく人生が羽ばたくチャンスを必ず備えてくださいます。

そうして、あなたが今にベストを尽くし、神の導きに従って、チャレンジし続ける時、あなたは神の働き人として、どこまでも大きく用いられていくことでしょう!!

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