軸となる基準を持つ

どうしても必要なことはわずかです。(ルカ10:42)

私たちの生活にはいろいろと気を使わなければならいこと、やりたいこと、やらなければならないこと等々沢山あります。

リストを作り始めたらきりがありません。

でも、聖書が語るように、本当に必要なことはわずかなのです。

私たちはいろいろな価値基準に従って生きています。

あれもこれもやらなければならないと自分で決めた途端に、すべてができない状況に追い込まれ、やることが雑になって、いつまでもたってもやるべきことが終わらない自分にストレスを感じるようになります。

追いこんでいるのは他でもない自分自身なのです。

ところが、「どうしても必要なことはわずかなのだ」という基準を自分の中に設けた時から、自然に、何がどうしても必要なことなのだろうと考えるようになります。

その時に、生活の質が変わっていくのです。

どんな軸を持つかによって人生は大きく変わるのです。

聖書の言葉を軸として持つ時、いろいろな判断や決断が極めて明快で、容易になり、人生の質が確実に向上していきます。

今日という日

明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:34

今日という1日は神からの贈り物です。

どんな大きな夢や、ビジョンも、今日という1日の行動の積み重ねから生まれるのです。

今日1日にベストをつくし、できることを精一杯やり、充実した1日を作り上げることが、充実した人生につながるのです。

1日にできることはとても限られているかもしれません。

それでも、すべては小さな1日の積み重ねなのです。

今日という日を大切にして、将来のビジョンの実現のためにできることに集中する時、そこに神の働きが加わって、人生が加速するのです!

嵐の中で眠っている神

ところがイエスだけは、ともの方で、枕をして眠っておられた。(マルコ4:38)

イエスが弟子たちと船で湖の方へ出かけた時のことです。

突然嵐が起きて、船が沈没しそうになり、弟子たちは慌てふためいていました。

その中で、イエスは眠っていたのです。

人生の嵐の中で本当に助けが必要な時に、何の助けもないように感じる時があるかもしれません。

しかし、この聖書の箇所の後にあるように、弟子たちがイエスを呼び求めると、イエスは一言で嵐を静めてしまったのです。

私たちがどんなに大きな嵐であるように思えるような困難に出会っても、神にとっては、それは全く大きな問題ではないのです。

そして、私たちが呼び求めるとき、道は開かれるのです。

嵐はどんなに大きなものであっても、一時的です。

1年継続して吹き続ける嵐などありません。

私たちの人生の中に起こる嵐のような困難もすべて一時的なものなのです。

神が最善のタイミングで取り去ってくださるのです。

嵐は一時的ですが、神の働きは永遠です。

この時間感覚がしっかりある時、どんな状況の中でも希望と平安を持って前に進めるのです!

癒しに必要なもの

子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。(マタイ9:2)

イエスが手足の不自由な人を癒された時の話です。

この一言で、癒されて、起きて家に歩いて帰ったというのです。

どうして「手足が自由に動くように」ではなくて、「あなたの罪は赦された」といったのでしょうか?

神はあなたの中にある問題の根源が、あなたの周囲や病気の症状にあるのではなく、あなたの心の中にあるのを知っていたからです。

罪は神を知らないところから生まれます。

それが癒される時に、神とのつながりを持つようになって、心が開かれるのです。

神を知らない時には、すべて自分の力で何でも解決しようとします。

当然自分の力ではどうにもならないことにも直面するので、その度に大きなストレスに覆われるか、諦めるかの選択を迫られるのです。

神を受け入れる時に、神の尺度という、第3の道が開かれます。

そうしてあなたの心が、開かれる時、神から流れてくるあらゆる愛、希望、平安を受け入れることができるようになるのです。

その時に、内在するあらゆる能力が自然に次々と開花していくのです!

隠れたところでの働き

隠れたところで見ておられるあなたの父が報いてくださいます。(マタイ6:18)

近年の変化の激しい時代にあって、目に見える成果を求められることが多々あります。

そして、人々は、少しでも頑張りや努力を認めてもらおうとアピールしようとします。

時には自分の働きが思うように認められないと気を落す時もあるでしょう。

この聖書の言葉は、そうした中にあって、とても大切な教えを語っています。

神はあなたのあらゆる働きを見ておられ、あらゆる努力に報いてくださるのです。

この聖書の箇所の前のところには人にみられるようにアピールする人に対して、「彼らは自分の報いを受け取っているのです」と語っています。

人に見えないところでの忠実な働きは、神が見ています。

人に見えないところでな働きは、神への最大のアピールなのです。

人が見ていてもいなくても、常に正しい最善の努力をしようとする姿勢は自然に伝わるものなのです。

あらゆる時に、正しく、忠実に、前向きに努力を続ける時、神が引き上げてくださいます。

神によって引き上げられる時、あなたの人生は思うところ願うところをはるかに超えた大きな展開を見せるでしょう!

すべてが良いこと

主 は、 あなた の すべて の 咎 を 赦し、   あなた の すべて の 病 を いやし、 あなた の いのち を 穴 から 贖い、   あなた に、 恵み と あわれみ との 冠 を かぶら せ、 あなた の 一生 を 良い もの で 満たさ れる。詩篇103:3

神ははっきり聖書の中で「あなたの一生を良いもので満たされる」と宣言しておられます。

これは決して変わることのない約束なのです。

人生で経験することは、すべて良いものなのです。

たとえそうでないように思うことがあっても、それはあなたが勝手につけた解釈に過ぎません。

人はあらゆる事柄に対して自分なりの意味づけをして生きています。

そして、その意味づけが実は人生の質を決定しているのです。

「世の中には辛いことばかりだ」という意味づけをいつも持っていると、あらゆる事柄がそのように見えてきます。

しかし、この神の約束が絶対に正しいと思っていると、同じことを経験しても、全く解釈が180度反対になります。

それはただ単に解釈が変わるということを超えて、いろいろなことに取り組む姿勢が全く異なってくるのです。

そして、それが結果として現れてくるのです。

どんな状況にあっても、「絶対に神は一生を良いもので満たされる」はずなのだ!と言い聞かせるのです!

聖書の約束は人生を根本から変えるのです!

導かれた試み

イエス は、 悪魔 の 試み を 受ける ため、 御霊 に 導か れ て 荒野 に 上っ て 行か れ た。マタイ4:1

イエスは神の子として、短い生涯の間に数々の奇跡をおこななわれ、彼が伝えたスピリットは今に至るまで受け継がれています。

そのイエスが、働きを始める前に、実はいろいろな誘惑の試練を受けていたのでした。

しかも、この聖書が語るように、「御霊に導かれて」とあります。

神は計画の中で、イエスの器を大きくするために、あえて、いろいろな試練に導いたのでした。

神の子として、すでに完成されているはずのイエスでさえ、あえて成長のために試練に導いたのでした。

まして、人間である私たちに、神が成長の機会を備えないはずなないのです。

神は、新しいステージに進む前には、その人を本当に成長させようと、いろいろな試練に導きます。

それは、神がそうした試練があなたの成長のために必要なことを知っておられるからです。

そして、決して乗り越えることのできない試練は備えられないのです。

そうした試練のすべてを神の導きだと信じて、確実に乗り越えていく時、あなたの新しいステージには今までよりもはるかにスケールの大きな素晴らしいことが起こるようになるのです!

日々ドラマの主人公

をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。詩篇37:4

世の中には様々なエンターテイメントがあります。

いろいろなものが心を楽しませてくれ、喜びを与えてくれます。

しかし、世のエンターテイメントの与える楽しみ、喜びはすべて一時的なものです。

どんなに楽しい旅行やイベントであっても、ふっと日常生活に戻った時に気分が変わった経験があるでしょう。

日常生活の心のレベルを保つことが充実した人生のために大切なのです。

神と共に歩み、日常生活の中にいろいろなチャレンジがあり、感謝があり、喜びがあり、日々の生活がテレビや映画できるようなドラマの連続であれば、どんなに人生がおもしろいでしょうか?

自分が日々ドラマの主人公なのです。

神と共に歩む時、これまでになかった新しい扉が開かれ、これまでに思いつかなかったスケールの行動に出ることができるようになります。

なぜなら、あなたが神が備えてくださっているはるかにスケールの大きな人生を信じているからです。

そうして、毎日が驚きと感謝の連続になるのです!

第一とするもの

神を第一とし、神が望まれるとおりの生活をしなさい。そうすれば、必要なものは、神が与えてくださいます。

マタイの福音書 6:33

私たちは日々の生活の中でいろいろなものを必要とします。食べ物、住む場所、着る服から始まって生活に必要なものはたくさんあります。

その中で何が一番必要なのでしょうか?

貴重な機会、経験、出会い等々、本当に大切なものはお金では変えないものです。

神との出会いもその一つです。

神が人生を守っていてくださることを本当に受け入れるとき心の中に圧倒的な平安が生まれます。そして同時に希望が生まれ前向きに歩む力が生まれるのです。

この起源がある限り他の全てのものはついてきます。

心の中の平安がある限り、あなたの人生は素晴らしいものになります。

名前を変える

「契約はもう一つある。わたしはあなたの名前を変える。これからは『アブラム』〔「地位の高い父」の意〕ではなく、『アブラハム』〔「国々の父」の意〕と名乗りなさい。創世記 17:5

神は100歳になったアブラハムに子供ができると予言しました。

そんなことを到底信じることができないアブラハムに神が行ったことがここに記されています。

神は彼の名前を変えたのです。

どうして名前なのでしょうか?

それは神がそれが彼の心の中にビジョンを植え付ける最善の方法だと知っていたからです。

人に会うたび、何かあるたびに名前を呼ばれるごとに、彼は自分にあたえられた神の使命を知ったのです。

国々の父ということは多くの子孫を持つことを示唆していたのです。

度々名前を耳にすることで、彼の心の中に神から与えらたビジョンを思い起こしたのです。

あらゆる時に、神に与えれたビジョンを頻回に思い起こすことこそが、神の働きを進めるための最大の鍵なのです。

ビジョンを連想させる短いキーワードを作ったり、イメージを作ったりして、それをあらゆる時に思い起こすのです。

そのビジョンはやがて心の中に根付き、自分でも想像もしないような素晴らしい世界が開けてくることでしょう!

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