心の手入れ

その喜びをあなたから奪い去るものはありません。(ヨハネ16:22)

私たちの状況がどうであっても、自分の心をコントロールできるのは自分だけです。

私たちの感情はいろんな状況によって、左右されますが、実はそれは自分が周囲の状況に同調しているだけなのです。

周りの状況がどうあれ、人からどんな扱いを受けようと、どんなことを言われようと、私たちの心にはそれをブロックして、心の中を平安に保つことのできる壁があるのです。

しかし、この壁は、いつも手入れしていないと、あっという間に、外からの様々な刺激によって壊されてしまいます。

あなたが心の中の壁を徹底的に守り、壁の中で、あなたが神に与えられた希望、勇気、愛等のすばらしい感情に満たされている時、あなたのどんな周囲の状況をも、あなたを打ちのめすものはありません。

壁を手入れする鍵は、言葉と感情です。

常に勇気、希望、愛を表すような言葉を探して、自分に語り続けるのです。

そして、言葉だけではなく、その言葉から想像出来るイメージ、感覚、感情を同時に持ち続けることが大切です。

庭を手入れしていなければすぐに雑草がはびこってしまうように、あなたの心の中も、手入れしていなければ、あっという間に否定的な言葉と感情で覆われてしまいます。

あなたが心を手入れし続ける時、それが結果となって、外に現れてくるのです。

そしてあなたの人生が輝くようになるのです!

1日中語り続ける

私の口には1日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。(詩篇71:8)

私たちの人生の質は、私たちがいつも思い巡らしている思考によって決定されます。

うまくいかないことや、問題や、不安を考えてばかりいると、日々の生活が楽しくなくなってしまいます。

私たちが何も運動しなければ、体力が衰えていくように、私たちの精神も常に鍛えなければ、否定的な方向へ流れるようになっているのです。体の衰えは、目に見えますし、実感しやすいですが、精神の変化には案外気がつきにくいものです。

気がつけばなんとなく気力がないとか、気分が乗らないということはよくあると思います。

運動にもいろいろな方法があるように、精神を健康に保つためにもいろいろな方法があります。

あなたはもっとも信頼できる方法をどうやって探しますか?

できるだけいろんな人にすでに試されて、効果が保証されているものを求めないでしょうか?

聖書には、2000年の歴史が証明している効果があります。

これだけの長期にわたって、時代が変わっても人々の心を支え続けてきたものは何でしょうか?

その最大の秘訣がここに書かれています。

あなたのために神が備えてくださっている素晴らしい約束や、計画を、この聖書の言葉通り、1日中語り続けるのです。

私たちの心は、どんなことでも自分が繰り返し語っていることを信じるようになります。

あなたが聖書に書かれているあなたのために用意された約束や、大きな素晴らしい人生への希望、どんな時も決して尽きることのない神の温かい愛をいつも語り続ける時に、それは本当にあなたの人生に現れてくるのです。

聖書を読んでいて心に響く言葉に出会った時、その心に響いた感覚を忘れないうちに何度もその言葉を繰り返して語ってみましょう。

時々、こうしたことがあまりにシンプルすぎるため、そんなことは効果がないと初めから決めつけている人がいます。

しかし、本当の真実は、極めてシンプルなのです。

あなたが本気でシンプルに聖書の言葉を感情を持って語り続ける時、誰よりもあなたが、人生に起こる変化を見て驚くでしょう!

恐ろしいこと

あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう。(詩篇66:3)

私たちは、何かを恐れると聞くと、普通は否定的な恐れをイメージしてしまいます。

特に、将来に対するよくないことが起こる可能性をイメージしてしまうでしょう。

しかし、聖書が語っている「恐ろしい」は全く逆の意味なのです。

それはあまりにも素晴らしくて、「恐ろしい」のです。

あなたは自分の人生に、震え上がるほどの素晴らしいことが起こることをイメージできますか?

とても自分の力だけだとは思えないような、素晴らしい人に出会ったり、チャンスに出会ったり、経済的な恵みにあったりして、人生がものすごい勢いで良い方向に変わっていくことを想像できますか?

私たちの心は、特別な刺激がない限り勝手に否定的な方向に物を想像したり、考えたりするようになっているのです。

だからこそ、聖書には、ありえないような数々の奇跡的な物語がいっぱい詰め込まれているのです。

荒野に道ができたり、砂漠に川ができたり、火の柱が進むべき方向を示してくれたり、祈ったら雨が降ったり、ライオンと一緒の檻の中に入れられてもなんともなかったり、火の中に投げ入れられても全く火傷を負わずになんともなかったり、数々の病人が癒されたり、、、書けばきりがないくらいにものすごい現実離れしたことが記されているのです。

聖書はおとぎ話の本ではありません。

神は聖書を通して、あなたの人生にも、ものすごいことが起きることを本当に心から信じて欲しいのです。

人はただの楽観主義だとか、そんなことを言っても人生は変わらないとか言うかもしれません。

しかし、本気で確信を持って、震え上がるような神の素晴らしいわざが、次々と起きると信じ込んでいる人には、本当に起こるのです。

あらゆるテクニックは、心が整ってなければ何も役に立ちません。

あなたの心が、神の可能性に満たされている時、あなたの人生には、恐れるような素晴らしいことが次々と起こるでしょう!

誰のせい?

この人が罪をおかしたのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。(ヨハネ9:3)

この聖書の箇所では、生まれつきの盲人の人を見て、弟子たちがイエスに質問していました。

どうしてこの人は目が見えないのですか?

誰かが悪いことをしたからですか?この人が悪いのですか?両親ですか?

それに対するイエスの答えがこの聖書の言葉です。

私たちは、何か問題があると、どうしてそうなったのだろう、何が悪いのだろうと考えることが当然のこととして教育されています。

そして、まさにこの弟子たちが話していたように、時には、それがいつの間にか誰が悪いのかという議論に発展してしまうことがあります。

問題解決のために、原因を考えて対策を立てることは当然大切です。

しかし、問題の中には、どう考えてもそれがはっきりしないものもあるのです。

どうして自分がこんな辛い目に遭っているのか考えても理解できない時もあるのです。

そんな時、この聖書の言葉を心に留めてください。

あなたの問題や試練はただ単に神のすばらしい働きがあなたに起こるためなのです。

今できるベストを尽くし続けていれば、神の働きによって必ず道が開けるのです!!

本物の歩み

まことに私は耳が聞こえず、口で言い争わない人のようです。それは主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。(詩篇38:14)

詩篇には人間の素直な心情がとてもよく描写されています。

試練の中にあるときの素直な心、神の力を求めている素直な叫び等が極めて巧みな言葉で表されています。

これが詩篇が聖書の中でも、特に有名な書物の理由の一つだと思います。

この聖書の箇所もそんな表現の一つです。

耳が聞こえずーあらゆる周囲からのネガティブな声をシャットアウトし、

口で言い争わないー不平不満を言わずに、

ただひたすら「主を待ち望む」ー神の働きを信じて前進しつづける

まさに、聖書に忠実な人の歩みの姿勢を極めて巧みに表しています。

でも、こんな姿勢を持ち続けることは容易ではありません。

私たちは知らず知らずのうちに、周囲で語られる言葉を受け入れてしまい、自分の限界を自分で作ってしまいます。

何かうまくいかないことがあるとすぐに文句を言いたくなります。

それが人間の本性なのです。

だからこそ、私たちは自分をはるかに超える存在の助けが必要になるのです。

どんな時も、神はあなたを守っています。あなたに力を与える準備をしています。あなたの考えるところをはるかに超えた素晴らしい能力を与えておらえるのです。

あなたは、そのすばらしい導き手の存在を知るとき、どのような状況の中でも、自分に与えらえた可能性を信じ、あらゆる否定的な声を排除して、不平不満を言わずに前進できるようになるのです!!

本物の助け手

あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。(詩篇37:5)

私たちは自分のベストを尽くして頑張っても思うように事が運ばない時、本当に八方塞がりの時、誰かに頼りたくなるものです。

もちろん、あなたの周りにそんな時に支えてくれる人々がいれば幸せです。

そんな人は全くいなくて、本当に気落ちしている時もあるかもしれません。

でも、あなたは神に助けを求めることができるのです。

神はあなたが助けを呼ぶのをいつも待っておられます。

あなたが自分の力だけで頑張るといえば、何もせずに近くでじっと見守っておられます。

そして、本当に助けが必要な状況になった時にはいつでもあなたの力になってくれるのです。

自分でできる最大限のことをやったら、神にあとは任せることができるのです。

「主が成し遂げてくださる」のです。

あなたが神の支えを信じている限り、あなたは決して追い込まれることはありません。

そして、神の力によって、本当に道が開かれるのです!

夢を持ち続ける

その時、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。(民数記13:30)

この旧約聖書には、イスラエルにいる人々が奴隷として扱われていたエジプトそ脱出して、最終的なすばらしいカナンという土地を目指す話が出てきます。

最後に、カナンの地に入る前になって、強敵がその場所を取り囲んでいるという噂が流れます。

その状況を見るために、スパイが送り込まれ、彼らが情報を持って、リーダーのモーセのところに帰ってきたときのことです。

カレブを除く、他のすべてのスパイは、その地を取り囲んでいる敵はとても強くて、とても太刀打ちできないという報告をします。

ところが、カレブはこの聖書の箇所にあるように、絶対に敵を倒してその地に入ることができるからぜひ行こう!と全く逆のことを言うのです。

私たちも、何か夢に向かって行動を起こし始めると、必ず否定的な声を聞きます。

それは周囲からの声であったり、時には自分の内の声であったりするのです。

そして、いくら頑張っても上手くいく兆しが見えない時、周囲の人がこのスパイのように否定的な情報を持ってくる時、私たちの心は弱くなってしまうことがあります。

しかし、あなたの夢はあなたが勝手に作り上げた妄想ではありません。

神があなたに与えてくださった大きなビジョンなのです。

人の声や、周囲の状況、自分の能力の限界に、神のビジョンが負けるはずがないのです。

あなたをどんな時も後押しして、あなたのために不可能を可能に変えてくださる力があなたと共にあるのです。

周囲の声に耳を傾けるか、神の声に耳を傾けるかはあなたの選択です。

神の声に耳を傾け続けたカレブは、その後40年経って、85歳になってからその地を目指して攻め入るのです。

他のスパイの否定的な情報を信じた人は、荒野で人生を終えましたが、カレブは最終的に、カナンの地に入ることができたのでした。

40年間神から与えられた夢を信じ続け、85歳になってからチャレンジした勇士が聖書にいるのです!

カレブは私たちと同じ人間です。

聖書の時代に起こったことは、今のあなたにも起こるのです。

あなたが信じ続けて、行動し続ければ、必ず道は開けるのです!!

将来に対する不安が消える

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。(詩篇23:1)

聖書を通して神の力につながる時、将来に対する不安が消えます。

私たちは多かれ少なかれ誰でも将来に対する不安を持っています。

特に変化の激しい現代にあっては、将来に対する不安が尽きることがありません。加えて、いろいろな周囲からの情報がますますその不安をかき立てています。

この聖書の言葉を語っているダビデも、彼が生きている時代には、本当にいろいろなことがありました。自分の環境が不安定になるだけでなく、自分の命までも上司に狙われたり、自分の子供に狙われたりしたのです。突然家に帰ってみると街が責められて大変なことになっていたこともありました。

幾多の試練の中で、彼が残した言葉が聖書のこの箇所です。

どう考えても、ピンチの状況の中で、彼は、「乏しいことがない」と宣言しているのです。

どうしてそんなことがいえるのでしょうか?

その鍵は、その前の文にあります。

主は私の羊飼いー私たちは羊のように世をさまよっていますが、羊を導く羊飼いのように、神が私たちを導いていると宣言しているのです。

天地万物を造られて、それを今もコントロールしている神はあなたを導いておられるのです。

四季を動かし、自然を作り、昼と夜を作り、ありとあらゆる生態系のバランスを取っている神はあなたの人生をもその一部として導いているのです。

どんな大きな力があなたの背後に働いているか想像してみてください。

あなたの問題がどんなに大きくても、宇宙のスケールよりは小さいはずです。

あなたの人生を守っている神はあなたに必要なものをすべて与えることができます。

あなたが本当に神の力を信頼して、「私には乏しいことがない」と宣言するとき、あなたの人生は本当に神の力によって、大きな変化を遂げます!

一貫した行動

隠されているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。(ルカ8:17)

あらゆる私たちの日常活動での行動が私たちの将来を決定しているのです。

日常の些細なことで、「誰も見ていないからこれくらいいいか」と言って、良心の咎めがありながら気を許してしまうことがありませんか?

自分でもう少し頑張れると思いながらも、「誰も見ていないからこの辺でいいや」と妥協してしまうことはありませんか?

私たちは本来心の底に何が正しいかを感じる心を持ちながらも、それを見過ごしてしまうことがよくあります。

聖書もこの人間の本質を至るところで語っています。

あなたが自制心が特に弱いのではなく、それが人間の本質なのです。

ところが、あなたが聖書を通して、神と繋がったときから、あなたの行動は自然に変わります。

あなたのことをいつも大切にしてくれて、完璧に信頼してくれて、どんな時も助けてくれる人があなたのそばにいたら、その人の前では、信頼を裏切らないように、自然に最善を尽くそうと思うでしょう。

神はまさにそのような存在で、あなたのそばにいてくださるのです。そして、たとえあなたが最善を尽くして、完璧にできなくても、決してあなたを責めたりはしないのです。

私たち人間には誰でも弱い部分があるので、自分の力だけで完璧にやろうとしても、そうすることができない自分に失望するだけです。

しかし、あなたのことを本当に信頼してくれて、大切に思ってくれる存在をいつも自分の中に感じていれば、他の誰が見ていなくても、最善をいつも尽くすようになります。

人が見ていようと、見ていなかろうと、人から評価されようと、されなかろうと、神の前にいつも最善を尽くすようになると、あなたは自然に表裏のない一貫した行動をとれるようになり、不思議なほどいろいろなストレスから自由になって、人生が輝き始めるのです!

与えることー究極の成功法則

与えなさい。そうすれば、自分も与えれられます。人々は量りをよくして、押し付け、揺すり入れ、溢れるまでにして、懐に入れてくれるでしょう。(ルカ6:38)

この言葉は人生が豊かになるための究極の成功法則を見事に表しています。

常に人々の価値を高めるものを提供することは、仕事にに限らず、あらゆる人間関係においても一番大切なことです。

しかし、ともすると、私たちはこの大切な真理を忘れてしまうのです。

私たち人間は本質的に自己を大切にしようとする存在なので、常に他人のことを考えて、人々に与えることを考えることは、意識していないとできないのです。

そして、何よりも大切なことは、まず、自分が十分に満たされていることです。

人は自分の中にどんな形であれ、欠乏感があると、決して人のことを考えたり、人に良いものを与えようというゆとりは生まれません。自分の健康、立場、経済的な状況、プライド等々、自分の存在自体が脅かされるような状況にあると、人のことをかまっている場合ではなくなるのです。

そして、いろいろな人間的な策略が生まれるのです。競争の激しい現代社会では、これがいろいろな問題の根源になっていることがほとんどです。

ここに、聖書の力があります。

聖書が語る神は、あなたに本当に必要なものすべてを与えると断言しておられるのです。

あなたがどんなものでも必要な時に備えられることを知っていれば、決して欠乏感に悩まされることはありません。どんな状況にいても、神がいつもそばにいてくれて、自分の存在を喜んでいてくれていて、力を貸してくれていることを本当に感じていれば、決して孤独感に悩まされたり、無力感に襲われることはありません。

あなたが神が与えてくださっている圧倒的な恵みを信じている時、あなたの中から欠乏感が消えるのです。

その時、あなたは初めて人に進んで、いろんなものを与えることができるようになります。そして、あなたが与える存在になると、本当に人々はあなたに進んで与えてくれるようになるのです。

すべてはあなたの心の中での神との強い結びつきから始まるのです。

あなたの心が満たされる時、あなたの人生に素晴らしいことが次々と起こるようになります。

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