“望みを持つ捕らわれ人よ、砦に帰れ。わたしは今日もまた告げ知らせる。二倍のものをあなたに返す、と。”
ゼカリヤ書 9章12節
物事が計画通りに進まない時、周囲の状況や環境、またはいろいろな人の意見の影響を受けて、将来に対する希望と期待を失っていることがあります。
そんな時こそ、聖書の言葉が、期待と希望を蘇らせてくれるのです。
期待と希望、不安と失望はどちらも将来に対する思いですが、その思いがポジティブな方向に向かっているか、それともネガティブな方向に向かっているかだけの違いによって、心の状態が変わってくるのです。
希望も不安もコインの表と裏の関係にあるに過ぎません。
不安を抱いた時、または失望したように感じる時、実はその状況はいつまでも続くのではなく、神の素晴らしい働きと計画の1ページであり、必ずそれが好転する時がやってくると信じることができれば、不安や落胆は将来への希望に変わります。私たちは何の根拠もなしに希望を持つ事はできません。
様々な計算に基づいた将来の予測や、人のアドバイスだけに基づいていると、試練や困難に直面した時には、支えを失ってしまうことがあります。
本当に厳しい状況の時には、信頼できる神の導きに基づいた将来への予測が唯一の希望の源かもしれません。
それでも、どのような状況も必ず神に導かれて、素晴らしい状況へと変わっていき、困難を通して神は成長させてくださり、何倍もの祝福を神様が備えてくださると知っているならば、私たちはどのような状況の中でも希望を見出して前に進み続けることができるのです。
尽きることのない希望を源が、いつも内にある時、人生は、思うところ願うところを越えて、素晴らしいものに変わっていくことでしょう。
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