“なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。”
ローマ人への手紙 3章20節
私たちは信仰を持つと、神の素晴らしい働きを受けるためには、お祈りをしなければ、また常に自分に聖書の言葉を覚え続けなければ神の働きを受けることができないと思ってしまい、自分でいろいろとやることを決めて、それができていない自分を発見すると、自分を責めてしまうことがあります。
でもこの聖書の箇所が語っているように、神は私たちが何かをしたからと言って私たちに恵みをくださるわけではありません。
神はいつもあなたの前に最善のものを与えようとされているのです。
たとえ私たちiが、どんなにあれやろうこれやろうと自分で決めても、必ずその通りにできないことがあることがあるのを知っています。
だからこそ、神はあなたが何かをしたら、何かの修行をしたら、聖書を学問的に深く勉強したら、大きな働きをあなたに与えるというような形では、あなたに働かれていないのです。
あなたが唯一しなければならない事は、神に目を向けることです。
自分が持っている重荷を神に預けて、素直に心をリラックスさせて神に開くことで、神との繋がりは強くなっていくのです。
神の働きの大きさとすばらしさを知るようになれば、自然といろいろな方法で、神を探し求めるようになるでしょう。
時には音楽であったり、特別な場所であったり、一定のしぐさであったり、ただ静かに横たわって瞑想することであったり、いろいろな方法があっていいのです。
神に心を向け、神が共におられる感覚を持ち続けることによって、素晴らしい平安と喜びが心の中に湧き上がってくるのを感じることができれば、自然とそれを求めるようになり、そのためにいろんなことをするようになるものです。
神からの大きな恵みを、素直に心を開いて受けることができるようになれば、益々神に用いられて、素晴らしい人生が展開していくのです!
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