内にある明かり

“また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。”

マタイの福音書 5章15節

神はあらゆる必要な才能や能力を与えておられます。

それと同時にあらゆる必要なチャンスも与えておられるのです。

まだ見ない才能やチャンスがあっても最前の時にそれらは開花し、やってくるのです。

時は神の手の中にあります。

あらゆる周囲のそれらの可能性を否定する声を打ち消して、今日、今できることにベストを尽くし続け、その時が必ずやってくることを信じて前に進み続けるのです。

天地万物をコントロールしておられる神はあなたの人生も完全にコントロールしておられます。

神のタイミングを信頼して歩む時、平安の中で持つ力を最大限に発揮できるようになるのです!

神の言葉によって奮い立つ

“こうしてその日、サウルと三人の息子、道具持ち、それに彼の部下たちはみな、ともに死んだ。”

サムエル記 第一 31章6節

ダビデは神の働きによって奇跡的に次の王の地位を得たあとも、多くの試練の中で戦ったのでした。

特に、この箇所では、彼が戦いから帰ってみると、家族も皆んな連れ去られて、家も街も焼けてしまっていたのでした。

しかし、彼はその中にあっても、自らを神の言葉によって奮い立たせ、立ち上がったのです。

ダビデが奇跡的な神の大きな働きを見ることができた秘訣はここにあるのです。

試練の時、大きなチャレンジに会う時、彼は周囲の状況や人の言葉ではなく、神の言葉によって立ち上がり、前進し続けたのです。

私たちも、あらゆる状況の中で、常識的な周囲の考えや、情報、人の言うことに左右されることなく、しっかり神の導きに従って歩む時、思うところ願うところを超えた素晴らしい人生が展開するのです。

神の導きを知るためには、あらゆる時に神の存在を認識し、過去の働きに感謝し、将来の大きなビジョンに期待して、今にベストを尽くすのです。

いつ、どのようには必要ない

“信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。”

ヘブル人への手紙 11章8節

神は私たちに素晴らしい計画と道を用意しておられ、それらを私たちに示されるのです。

ところがどのようにして起こるか、いつ起こるかは決して言わないのです。

ただとても自分の力では及び難いような大きなビジョンを小さな声で、ふとした瞬間にイメージとして示されるのです。

でも多くの人は、いつの間にか受け入れた世間的な常識で、そんなことが起こるはずがないとか、そんなことは自分にはできないと言って、自分で神に与えられたビジョンを打ち消してしまい、それに向かってチャレンジしようとはしないのです。

しかし、神に忠実に歩み始める時、神からたれたビジョンが決して幻ではなく、現実に起こるものであることを確信するようになるのです。

なぜなら、あなたは人の言葉よりも、神の言葉をもっとしっかりとどんな時も聞くようになっているからです。

その時、いつ、どのようにして、その神のビジョンが実現するかは全くわからなくても、手当たり次第に、実現を信じて、行動し始めるのです。

この聖書の箇所に登場するアブラハムのように、暗中模索の中で前に進み続けるのです。

当然不可能なことにチャレンジしているので、日々ストレスと戦いの中にあるでしょう。

それでも、神が共におられるという実感を持ち続けることができるので、どんな大きなプレッシャーや困難にも負けずに、立ち上がり続けるのです。

やがて、うちに眠っていた才能が開花し、神の働きによって、奇跡的なチャンスを捉え、不可能と思えたことが可能になるのを見るようになるのです。

そうした経験を積むごとに、あなたは世間の言うことよりも、もっと神のいうことに耳を傾けるようになり、神と共に素晴らしい人生を歩んでいるという実感を持つようになるのです。

そうして輝いた人生が展開していくのです!

鷲のように

“しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。”

イザヤ書 40章31節

この聖書の言葉の中で、神は私たちを鷲にたとえています。

鷲は色々な小さな虫や他の鳥にちょっかいを出されることがあっても、いちいちそれらを追い払ったり、戦ったりせずに、2メートルある大きな翼を広げて、空高く、孤高に一匹で舞い上がっていくのです。

周囲の自分の動きの邪魔をするものたちが、息ができなくなってついてこれなくなるほどの高さにまで、舞い上がるのです。

そして、自由に自分に与えられた可能性を最大限に発揮して飛び回るのです。

私たちも同じです。

周囲にあなたの働きや前進を妨げる困難や人々がいるかもしれません。

しかし、そうしたあらゆる否定的な働きにいちいち構うことなく、真っ直ぐに神に与えられた使命に進むのです。

認められず不遇な扱いを受けることがあっても正しい働きを続けるのです。

否定的な言葉を言われても、感謝と前向きな言葉を語り続けるのです。

大きなビジョンを否定されても、自分の中にしっかりと描き続けるのです。

そうやって周囲の否定的な働きに乱されることなく、孤高の道を歩み続ける時、気がつくと神の大きな働きを受けて、あらゆる限界を突破して、大空を羽ばたく鷲のように、神に用いられて、素晴らしい働きをするようになるでしょう!

満たされた感覚

“それでも少ないというのなら、あなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。”

サムエル記 第二 12章8節

ゴリアテを倒し、勇者として王になったダビデは神の祝福に満ち溢れていました。

しかし、彼はそれでも満足せずに、家来の妻を卑怯な方法でとってしまいます。

そこに、神の使いとしてナタンが現れてダビデに語ったのがこの聖書の言葉なのです。

私たちは時々、本当に自分に必要なものが何かよくわかっていないことがあります。

ただ単に人が持っているものを羨ましがったり、いろいろな宣伝に乗せられてよく考えてみれば必要でないものを衝動買いしてしまったりします。

人生でも同じです。

世間の人間的な考え方に囚われて、本当に自分の進むべき方向や、本当に大切なものを見失って、必要でないものが手に入らないからと言ってストレスを抱えていたりします。

神はあなたに必要なものは何かをよく知っておられますし、本当に必要なものは惜しみなく与えることができるのです。

神は全宇宙の資源の流れをコントロールしているのです。

神には不足することはありません。

あなたが何か足りないものがあると思っているとすれば、それはただ単に神の計画とタイミングがずれているだけか、必要でないものを求めているかなのです。

待っている間に信仰が強められるものです。

神はどんなものでも最善のタイミングで与えることができるのです。

神につながっていないと、このタイミングや、本当に必要なものが何かわからなくなってしまい、欠乏感に襲われて、ストレスから誤った行動に出てしまうことがあるのです。

私たち人間は数人の自分の子供ですら、本当に必要なものを見極めて最善のタイミングで与えることは難しいものですが、天地万物を支配している神は、一人一人をしっかり見て、必要な資金、アイデア、出会い、等々全てを最善のタイミングで与えることができるのです。

神の恵みに満たされている感覚は、神につながっている大切なサインです。

その時、平静の心を保って、人に左右されることなく、確実に正しい判断と行動を起こすことができるようになり、神に導かれた素晴らしい人生が展開していくのです!

自分を変える

“この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。”

ローマ人への手紙 12章2節

神は私たちの中に限りない可能性と素晴らしい人格を備えておられるのです。

そして、同時にそれらを最大限に発揮することのできるチャンスも与えておられるのです。

内に眠る可能性を引き出し、神に与えられたチャンスを最大限に生かすことができるかどうかは私たち次第なのです。

人は手が届きそうな範囲のことには進んで行動を起こします。

しかし、全く不可能に思えること、別世界のことのように見える次元の高いことには初めからあきらめてチャレンジしなくなってしまうものです。

神に与えられた内に眠る宝の存在をまず信じることです。

そして、手当たり次第にできることにチャレンジするのです。

どこの扉が開くかは誰にもわかりません。

眠っている能力は行動の中から開花するのです。

壁にぶち当たるたびに、神が内に素晴らしい能力と力を与え、導いていてくださることがわかるのです。

自分の意志の力だけで乗り越えることができるようなレベルには本当の神の働きはありません。

本当に不可能に思えることに神の力を求めてチャレンジする時、神の働きによって思いがけない奇跡を見るようになるのです。

もし今の生活が何か物足りないような気がしていれば、それは神の大きな働きを見ることができるチャンスがある証拠です。

神の力によって、与えられた才能が開花することを信じて新しい行動を起こす時、エキサイティングな人生が展開します!

口が人生を決める

“「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。”

ペテロの手紙 第一 3章10節

私たちの言葉には力があります。

今語っている言葉が将来の自分を作っているのです。

こんな状況ではダメだ、やっていけない、問題だらけだと言っていると本当にそうなっていきます。

どんなに周囲の状況が希望を持てなくても、神の働きを語ることはできるのです。

どんな力よりも強い神が共にいて道を開いていてくださる

あらゆる試練は一時的で、神はそこを通してヨブのように必ず大きな祝福をもたらしてくださる

神は誰も閉じることのできない扉を開いていてくださるのだ

主は私の羊使い、私には乏しいことはない。私の命の日の限り慈しみと恵が私を追ってくる。

等々聖書の言葉に基づいた希望と信仰を語っていると、本当に神の奇跡的な働きを見る時がくるのです。

どんな時も真摯に聖書の言葉を本当に心から感情を入れて信じて宣言し続けると言うのは、あまりにも単純すぎるので、見過ごされ、世の中の様々な複雑の教えに救いを求めて、混乱に陥る人が多いのです。

私たちは普段聴いている言葉を語ります。

聴いたことがないことが口から出てくることはありません。

あらゆる時に聖書に触れて蓄えていないと出てこないのです。

聖書の言葉を蓄え続けるのは大変な作業に思えますが、初めはわずか数個の心に響く言葉から始めても十分効果があるのです。

あらゆる時に、その心に響く言葉を語っていると、ある時、突然神に触れられて、力が湧いてきたり、説明できないないような平安に覆われるようになります。

そうやって、神と共にあゆむことの素晴らしさを覚えると、もう勝手に進んでもっと聖書の言葉を求めるようになります。

次第にそれまで難解だった聖書が全く別の本に見えてくるのです。

神があなたに触れているのです。

そうなったあなたをもう止めるものは何もなくなります。

当然物質的に満たされるようになりますが、それと同時にもっと大切な精神的な満たしを得るようになるのです。

金銭で買えるものは究極的には私たちを満足させません。

人の称賛は変わるのです。

決して変わることのない神に焦点を合わせ続ける時、あらゆる大波に揺らされる人生の中で、まっすぐに神に与えられた使命の中に進むことができ、本当に充実した人生を送ることができるようになるのです。

神は見ている

“ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。”

コリント人への手紙 第一 15章58節

どんなに頑張っても道が開けない時、何か無駄な努力をしているように感じることがあります。

どんなに素晴らしい働きをしていると思っても、全く認められない時、また、逆に批判を受ける時、前に進む力を失いそうになることがあります。

そんな時、神はいつもあなたのあらゆる働きを見ておられ、覚えておられることを忘れないでください。

人はあなたの働きの一面だけを見て、評価するかもしれません。

理不尽な環境の中に置かれ続けることがあるかもしれません。

しかし、神はあなたが人知れず努力し、陰で行ったあらゆる頑張りを見ておられるのです。

そして、神は誰も閉じることのできない扉を開けることができるのです。

砂漠に道を荒野に川を作られる神はいつもあなたと共におられます。

あなたを評価し、あなたの将来に大きな影響力があると思っている周囲の人すらも、実は神の働きのために操られているに過ぎないのです。

神の温かい視線をいつも感じることができるとき、あらゆる状況の中で、周囲に左右されず、着実な地に足のついた歩みをするようになります。

やがて、自分でも予想もしなかった素晴らしい道が、神の奇跡的な働きによって開かれるのを見る時が来るのです!

争いを避ける

“争いを避けることは人の誉れ。愚か者はみな、争いを引き起こす。”

箴言 20章3節

意見が食い違うことがあるのは健全な社会にいる証拠です。

もし周囲の人がいつもあなた同じ意見だったり、何でも同調していたりすれば、あなたが属している組織は何か問題があります。

人はみんな生い立ちも違いますし、異なった背景を持っているので、議論が起こるのは当然なのです。

それぞれの経験と見方に基づいて自分が正しいと信じている人同士が話し合いになると、解決策を生み出すのは難しいものです。

特に、何が正しいかと言う前提自体が漠然とした状況では尚更です。

議論が白熱して、いつの間にか、議論すればするほど自分の考えの正しさをますます確信するだけになってしまい、平行線のままになることもあります。

そのような時こそ、神に信頼を置いて歩むものは、正しい判断ができるのです。

仮に自分の説が本当に正しかったとしても、いつも、自分の考えを遥かに超えた神の存在を意識しているため、いつまでも自分の考え方にこだわる事がないのです。

たとえ自分の説が通らなかったとしても、神が状況をいつもコントロールしていることを知っているからこそ、平静を保って状況を受け止めることができるのです。

人々はやがてあなたの正しい行いを見て、本当の信頼を置くようになるでしょう。

神とともにあゆむものは、あらゆる状況の中でチャンスを得て大きく羽ばたいていくのです。

大きな変化

“女たちはナオミに言った。「主がほめたたえられますように。主は、今日あなたに、買い戻しの権利のある者が途絶えないようにされました。その子の名がイスラエルで打ち立てられますように。”

ルツ記 4章14節

ルツは食べるのにも困るような環境にいましたが、ボアズのところで働くようになってから人生が変わり、ついに子孫はイエスにつながる家系の中に入ったのです。

神の働きは奇跡と驚きに満ちています。

何も変わらないような日常を送っていると、神の働きの大きさを忘れてしまうことがあります。

静かに目を閉じて、今の現実から神が導いてくださる最高の人生に目を向けてみてください。

仕事、家族、健康、経済面、人間関係、精神面の全てにおいて最高の状況はどんな状況なのでしょうか

何回も鮮明な映像になるまで、イメージを繰り返すのです。

祈りとはただ単に言葉を繰り返すのではなく、神とビジョンを共有することなのです。

そんなこと起こるはずがないと言う否定的な内から湧き上がる声を一切打ち消すのです。

世間は不可能を語りますが、神は可能性をいつも語っています。

今見える状況は一時的なものなのです。

今の状況が変わらないと思って、今の限界ばかりに目がいくと、神の大きなビジョンから離れてしまいます。

どうやってその大きなビジョンに到達するかは気にしないのです。

頭の中にビジョンが鮮明に描かれ続ける時、それに向かって成すべきことは自然に浮かんできますし、そのための力も湧いてきます。

全ては内側の神とのつながりから始まるのです。

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