“「いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。”
ペテロの手紙 第一 3章10節
私たちの言葉には力があります。
今語っている言葉が将来の自分を作っているのです。
こんな状況ではダメだ、やっていけない、問題だらけだと言っていると本当にそうなっていきます。
どんなに周囲の状況が希望を持てなくても、神の働きを語ることはできるのです。
どんな力よりも強い神が共にいて道を開いていてくださる
あらゆる試練は一時的で、神はそこを通してヨブのように必ず大きな祝福をもたらしてくださる
神は誰も閉じることのできない扉を開いていてくださるのだ
主は私の羊使い、私には乏しいことはない。私の命の日の限り慈しみと恵が私を追ってくる。
等々聖書の言葉に基づいた希望と信仰を語っていると、本当に神の奇跡的な働きを見る時がくるのです。
どんな時も真摯に聖書の言葉を本当に心から感情を入れて信じて宣言し続けると言うのは、あまりにも単純すぎるので、見過ごされ、世の中の様々な複雑の教えに救いを求めて、混乱に陥る人が多いのです。
私たちは普段聴いている言葉を語ります。
聴いたことがないことが口から出てくることはありません。
あらゆる時に聖書に触れて蓄えていないと出てこないのです。
聖書の言葉を蓄え続けるのは大変な作業に思えますが、初めはわずか数個の心に響く言葉から始めても十分効果があるのです。
あらゆる時に、その心に響く言葉を語っていると、ある時、突然神に触れられて、力が湧いてきたり、説明できないないような平安に覆われるようになります。
そうやって、神と共にあゆむことの素晴らしさを覚えると、もう勝手に進んでもっと聖書の言葉を求めるようになります。
次第にそれまで難解だった聖書が全く別の本に見えてくるのです。
神があなたに触れているのです。
そうなったあなたをもう止めるものは何もなくなります。
当然物質的に満たされるようになりますが、それと同時にもっと大切な精神的な満たしを得るようになるのです。
金銭で買えるものは究極的には私たちを満足させません。
人の称賛は変わるのです。
決して変わることのない神に焦点を合わせ続ける時、あらゆる大波に揺らされる人生の中で、まっすぐに神に与えられた使命の中に進むことができ、本当に充実した人生を送ることができるようになるのです。