心が洗われる

こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

ローマ人への手紙 81

私たちは、神を受け入れない時、人生で最高のチアリーダーであり、恩師を失っているようなものです。

神は私たちが、どんな状況に陥っても、どんなに間違いをしても、「大丈夫だよ」「もっと素晴らしい道を用意しているよ」といつも暖かく見守っていてくださいます。

私たちが、自分の欠点を自分で責めたり、人からの非難を受ける時、神はいつも「それは欠点ではないよ」「それも素晴らしい私が与えた才能だよ。必ず良い方向に用いられるよ」「あなたは私の最高作品だよ」と暖かく声をかけてくれます。

あなたの周囲にも、そうやっていつも自分を励ましてくれる人がいるかもしれません。

でも、そうした人がいなくても、神は24時間365日いつもあなたにそうした励ましの言葉を語っているのです。

その言葉は聖書に詰まっているのです。

聖書を通して、神の暖かい言葉を受け入れるようになる時、私たちは一切の人々からの非難から自由になり、自分を責めなくなり、暖かい平安な心を保つことができるようになるのです。

あなたの心がそのような状態になっていれば、花が良い香りを周囲に漂わせるように、自然に周囲に暖かい雰囲気を生み出すことができます。

多くの人が自分の性格を変えたり、コントロールしようとして、自分の悪いところを発見してなんとか治そうとしたり、無理にトレーニングしたりします。

神の圧倒的な愛に覆われる時、あなたの心の全てが一瞬にして洗われ、一気に全てが変わります。

この神の素晴らしい愛は、どんなに時代が変わっても、決して変わらないからこそ、聖書があらゆる時代を超えて読み続けられているのです!!

楽しみの流れ

彼らはあなたの家の豊かさに満たされあなたは楽しみの流れで潤してくださいます。

詩篇 368

私たちの幸せな人生は、幸せな11日の積み重ねです。

私たちは、ともすると、何かあれを達成すれば、あれを手に入れることができれば、これができるようになれば、こんな人と共にいることができれば、幸せになることができるだろうにと思うことがあります。

しかし私たちの人生の幸せと言うものは、周りの状況や環境によって決まるものではありません。

幸せは完全に今の私たちの心の中の状態なのです。

それは、私たちがどこに心の焦点を合わせるかによって、変わるのです。

どんな状況にいても、良いこともあれば悪いこともあります。

良いことと悪いことは同じ物事をただ違う方向から見ているにすぎないことがあります。

私たちは、あまりにも多くの社会の情報によって心が乱されて、自ら心の焦点を合わせることを忘れてしまっていることがあります。

神は私たちに、素晴らしい自然を与え、あなたの一生を守っていてくださるのです。

あなたが社会的な常識にとらわれると、足りないことだらけになります。

しかし、聖書を通した神のメッセージに集中すると、あなたの必要は全て満たされるのです。

あなたが神と純粋につながることができるようになると、あなたに本当に必要なものが見えてきます。

希望、愛、勇気、信じること、等々多くの本当に大切なものは、お金では買えませんが、そうしたものは、神からの圧倒的な愛を受け入れることでいつでも手に入るのです。

太陽が光を注ぐように、神は多くの大切なものを与えてくださっています。

ところが、時々、私たちは社会的常識で作られた家の中に閉じこもって、恵の光を受け損なっているのです。

少し、勇気を持って、家から出てみると、眩しいばかりの光が注がれています。

幸せな日はいつかやってくるのではありません。

今日、あなたの心が神の素晴らしい働きのレベルまで引き上げられる時、今、あなたがいるところで、自然に幸せな思いで満たされることができるようになります。

そして平和な心が、平和な人間関係を生み出し、着実な働きを生み出し、その日々の積み重ねが素晴らしい人生になるのです!!

今への集中

それゆえわれらは恐れない。たとえ地が変わり山々が揺れ海のただ中に移るとも。

詩篇 462

神はあらゆる時に私たちと共におられます。

たとえ私たちの周りの状況がどんなに荒れていても、私たちがどんなに嵐の中にあっても、神は変わることのない愛と力をもってあなたを導いていてくださっているのです。

このことを本当に信じる時、この聖書の言葉が実感となってあなたに力を与えることでしょう。

時に私たちは目に見えることに翻弄されて、この大切な真理を忘れてしまうことがあります。

そして、自分でなんとかしなければと思って、ストレスに襲われたり、どうにもならないと思って希望を失ったりするのです。

毎日天気のの変化がありながらも、確実に四季が変わっていくように、あなたの人生にも嵐の日があっても、確実に前に進んでいるのです。

この神の導きを実感できる時、あなたは焦ったり、気落ちしたりすることなく、どんな状況にいても、そこでできることを見出して、神に与えられたビジョンに向けて最善の努力を積むようになります。

私たちは、時として、将来に対する不安から、定まった行動を取れなくなったり、過去に対するとらわれから、前に進めなくなることがあります。

将来は神の手の中にあり、過去は神の恵みを思い起こすためにあるのです。

私たちが働きかけることができるのは今だけなのです。

将来を神に委ね、過去を神に感謝して、今に集中する時、極めて心が軽くなり、いろんな行動が容易にもっと高いレベルでできるようになるのです。

神は誰も閉じることのできない扉をあなたのために開けてくださいます。

神はあなたの一生を良いもので満たすと約束してくださっています。

神への信頼は、今への集中を生み出し、結果的に、将来や過去にとらわれていた時よりも、はるかに多くのことを成し遂げることができるようになり、あなたの人生は素晴らしいものになっていくのです。

あらゆる時にほめたたえる

私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口にはいつも主への賛美がある。

詩篇 341

この聖書の箇所は、神の素晴らしい働きを受けるために最も大切な心の状態を語っています。

あなたの心が、どのような状況にあっても常に神に与えられた大きなビジョンが実現することをを信じ、神を褒め讃え、感謝するなら、あなたの人生の中に神の素晴らしい計画は必ず現れていくのです。

私たちは日々の生活の中で、周囲のいろいろな否定的な状況や、ときには自分自身に語る否定的な言葉によって、神のあらゆる無限の可能性や、大きなビジョンを自ら打ち消してしまっていることがあります。

聖書に書かれている神の約束、すなわち、神はどんな時も共にいてくださり、あなたを愛し、導き、私たちの考えをはるかに超えたスケールの素晴らしい人生を与えようとしておられることを心から信じる時、心は自然と喜びと感謝で満たされます。

そして、どんなところにいても心から神を賛美することができるようになり、この聖書の言葉の通りのことを自然に行うようになり、人生は一つ一つ変わっていくのです。

多くの人が、外からの刺激によって、元気付けられ、力づけられ、勇気付けられることを求めています。

しかし、自分の心の状態が外の状況に依存している限り、心は平安になることはありません。

あらゆる周囲の影響を受けて、いつも不安で、苛立つものです。

神が与えてくださる内からのエネルギーによって、強められることを知ったときから、私たちはもう外的な状況によって、心が荒れることなく、神に与えられた使命に向かって真っ直ぐに歩んでいくことができるようになるでしょう。

どんな外からの圧力も、自分の人生に影響を及ぼさないことを知ったあなたは、思うところ願うところを遥かに超えた素晴らしい神の働きを次々と見ることになるでしょう!

正しい歩み

そこでこの人たちは言った。「われわれはこのダニエルを訴えるための、いかなる口実も見つけられない。彼の神の律法のことで見つけるしかない。」ダニエル書 65

ダニエルはあまりにも神に忠実であったために、人々から嫌われ、最終的には彼にとって不利になるように神を礼拝することを禁じる法律を、彼を嫌う人々が王に働きかけて作らせたのでした。

そして人々はその法律が制定されたことを王に伝え、それでも神を礼拝し続けるダニエルを王に訴えて、獅子のいる洞穴の中に押し込んだのでした。

王は、ダニエルが何も悪いことをしているわけではないことを知っていたので、何とか彼を助けたかったのですが、群衆の力に屈してしまったのです。

ところが、神はダニエルを守り、獅子に囲まれながらも、何の傷を追うこともなく、洞穴から出てきたのでした。

そして、ダニエルを陥れようとした人々たちが洞穴に入れられると、たちまち獅子に食べられてしまったのでした。

聖書のこのストーリーは社会でよく起きている現象の比喩です。

神の前に正しい歩みをしようとする時、いろいろな障害や抵抗に会うものです。

正しい、真っ直ぐな歩みをしていても、予想外の策略にハマることがあるのです。

人はいろいろな尺度で見ますし、大衆はいろんな意見や価値観に左右されるのです。

しかし、神は全世界をいつも見ています。

正しい歩みをするものたちは必ず神によって引き上げられるのです。

ここに、聖書に基づいた正しい価値観を保ち続けることがとても大切な理由があるのです。

聖書が人々を長年にわたって捉え続けてきた理由があるのです。

人々の価値観は時代によって変わります。

しかし、人間に必要な真理は時代が変わっても、文化が変わっても、国や言語が異なっても変わらないのです。

あなたはその素晴らしい真理に今、触れることができるのです!

そして、その真理を着実に身につけ、守り続ける限りにおいて、あなたは神に引き上げられてどこまでも高く羽ばたいていくことができるでしょう!!

今を通してつながる

何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。

ヨハネの手紙 第一 514

私たちが神につながっている限り、神は私たちのあらゆる願いを聞いてくださいます。

なぜならば、その時に私たちの心の中に起こってくるあらゆる願いは、神の導きそのものだからです。

神の計画の中にあるものを私たちが求めれば、それが実現されるのは当たり前のことです。

ではどうやって、神に繋がり続けるのでしょうか?

私たちは、世の中の様々なことに翻弄されて、神とのつながりが断たれることがよくあります。

神との繋がりが切れているときには、今の現状に感謝できなくなります。そして、それが過去の後悔に繋がり、将来への不安に繋がっていくのです。

まずは、今の現状が神からの贈り物であることをしっかり認識することです。

今の状況は、理想からは離れているかもしれませんが、神の計画の1ページであることは確かなのです。

神の素晴らしい働きは何か突然あなたが違う場所にいったときに始まるわけではありません。

特別な時があるわけでもないのです。

あなたがいるところで、今、すでに神の働きは動いているのです。

あなたの将来の素晴らしいビジョンも神の大きな計画も、全て、今の延長上にあるのです。

今もうすでに、神の導きの中にあるということを本当に受け入れた時、今いるところから全力を尽くそうという覚悟ができるのです。

過去を受け入れ、未来を神に委ねて今に集中できるようになるのです。

その時に、私たちは神に繋がり、神の計画に沿った願いが次々と現実になっていくのです!!

灯台

しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。コリント人への手紙 第二 214

私たちの中に神からの力、希望、愛が溢れるようになると、それはもはや、自分を勇気付けるだけでなく、周囲にも自然に影響を及ぼすようになります。

まるで、春になると咲く綺麗な花々が人々に喜びを与え、その香りで、人々を潤すようなものです。

どんなに周囲の人や状況があなたに否定的な影響を及ぼそうとしても、全くそうしたものに影響されることなく、逆にあなたが神のエネルギーを発する側に回るようになるのです。

どんな暗いニュースも、あなたを落ち込ませるような状況も、批判的な言葉も、もうあなたを打ちのめすことはありません。

それどころか、そのようなものは火に注がれる油のようなものに変わっていくのです。

ますます、神との繋がりが強くなり、力が湧き、活力が湧いてくるのです。

あなたは暗闇を灯す灯台になるのです!

揺るぎが止まるとき

主は私の光私の救い。だれを私は恐れよう。主は私のいのちの砦。だれを私は怖がろう。

詩篇 271

私たちの心は日々のいろいろなことによって揺れ動きます。

いろいろなニュースや、また自分のやることのがうまくいったりいかなかったり、人からの言葉によって気分が変動することがあるのは、私たち人間の本性です。

どんなことがあっても心が常に前向きで生き生きとしていたいと思いますが、人間である以上、誰にでも心の浮き沈みがあるものです。

ただ、その気分の変動を一時的なものにして、また心を整えて前向きになるか、その時の感情や気分に流されて、いつまでもそのままの状態でいるかの違いがあるだけのことです。

神につながることのできる大きな強みは、そうした心の動揺を一時的なものに抑えて、すぐに心を整えることができることなのです。

どんなことがあっても、「そうだ、私は神の子供なのだ」「世の中にどんなことが起こっても、神は全く動じることがなく、太陽を昇らせ、四季の変化を与え、あらゆる生き物に命を与えておられるーその神がともにいてくださって、私たちの人生を導いていてくださっているのだ」と言って、自分の人生を振り返って、神のこれまでの素晴らしい働きを思い起こす内に、いつの間に神への感謝が湧き上がってくるのです。

そして、心が感謝で溢れるようになるときには、もうあなたは一切の否定的な力から解放されて、神に与えられたビジョンを思い描き、希望と勇気が与えられ、この詩編の言葉が内から湧いてくるでしょう。

何も特別な他人からの励ましの言葉がなくても、状況が全く変わらなくても、あなたの心は神の力のよって変えられるのです。

そして、心が変われば、自然にあなたの態度が変わります。

人に接する姿勢が変わり、物事に前向きに真剣に、もっと集中して取り組むことができるようになり、決して諦めないようになり、結果的にいろんなことが好転し始めるのです。

人は、どうやって状況を変えようかと、やり方を一生懸命に学ぼうとします。

しかし、大切なことは、何をするか、どうやってやるかということよりも、心の状態なのです。

心構えが変わるとき、その他のものはついてくるのです。

聖書が2000年以上に渡って、どんなに時代が変わっても、人々を捉え続けてきているのは、聖書を通して、神に繋がった人々が心が変えられて、人生が変えられてきているからなのです!

とどまっている

神が私たちのうちにとどまっておられることは、神が私たちに与えてくださった御霊によって分かります。

ヨハネの手紙 第一 32324

神が私たちの中にとどまっている、神が共におられると言う感覚は、このまさに聖書の言葉が語る通りに私たちに与えられているその御霊によって感じることができます。

この御霊と言うのは、いわゆる直感とか第六感とか思いつきとかいった、人間の論理的な考え方を超えた、いわゆるひらめきや感覚のようなものに近いものです。

直感等は自分の勝手な思いつきであり、神とのつながりから生まれる直感的な感覚と言うのはこの御霊なのです。

そして神が内にとどまっているという実感がある時、あらゆる周りのものがすべて1つの神の導きの中につながっているかのような感覚を得ることができます。

それはあらゆる周囲に起こっていること、今与えられているもの、過去のもの、そして将来の計画に至るまでが、すべて神の導きの中で1つになってつながっているような感覚です。

私たち人間には、将来のことを見ることができませんが、神に対する信仰と信頼によって私たちは将来を感覚的に掴むことができるのです。

そして私たちが、神とともに歩んでいると言う感覚があるとき、私たちは神と共に素晴らしい働きをすることができるのです。

「素晴らしい」と言うのは何も世の中の比較基準に基づいた素晴らしさではありません。

私たちが世の中の基準に沿って、素晴らしさを定義し始めると、その素晴らしさは神の素晴らしさからかけ離れていきます。

神の素晴らしい働きと言うのは、あなたに与えられた、あなたにしかない神からの贈り物を、最大限に生かして生きることにあるのです。

ですから、それは時としては世の中の価値基準とは違うでしょう。

しかしあなたが神に与えられた才能最大限に生かして生きる時に、あなたは中には充実感が生まれ、自然にあなたの働きを通して多くの人を幸せにすることができるのです。

それこそが本当に素晴らしい神に与えられた人生なのです!

満たされる

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。詩篇 231

有名な聖書の箇所の1つです。

この聖書の言葉に語られているように、私たちの生活の中に、神があらゆるときに恵みと導きを与えてくださっているという確信が私たちの中にある時、私たちは平安を持って日々着実に進むことができるようになるのです。

何か足りないものがあるように思うとき、将来に対する不安がある時、私たちは冷静さを失って、焦ったり、無茶な方向に出たり、また逆に気力を失って思うように前に進めなくなったりするものです。

もし私たちがあらゆるときに神の支えがあることを信じているならば、私たちはどんなときにも心乱すことなく平和な心を持って落ち着いた判断を出すことができ、着実に1歩1歩進むことができるでしょう。

神への信頼があることの最大の強みは、この平安と冷静さにあるのです。

多くの人が、自分を元気づけるため、または心に静けさを取り戻すために、色々な方法を試みています。

本物の平安を得るために必要なものは、実は私たちの内に、いつでも手の届くところにあるのです。

いつでもどこでも、神につながっていることを意識する時、人知を超えた平安がやってきます。

平安の中にある時、正しい判断を下すことができ、一つ一つの仕事や役割をきちんとこなせるようになり、気分に左右されない安定した結果を出せるのです。

そして、その積み重ねが、あなたに与えられた使命を確実に進め、神の大きな働きがあなたの人生の中に現れてくるのです。

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