立ち止まって視点を変える

人に思慮があれば怒りをおそくする。その人の光栄はそむきを赦すことである。(箴言19:11)

人生は10%がどんなことが起こるかにかかっていて、90%はそれにどのように反応するかであるという言葉があります。

ちょっとしたことですづに声を荒げたり、怒ったりしている人を見たことがあるでしょう。

自分の中に、一旦立ち止まって、考えてみる習慣がないと、容易に周囲のことに反応して生きるようになるのです。

いちいち周囲に起こることに反応していては、心の中に平安が訪れることはありません。

立ち止まって、物事を客観的に見てみることです。

相手の立場に立って、どうしてそんなことをしたのかを考えてみるのです。

もっと進んで、神の視点で考えてみることです。

大自然の支配している神の大きなスケールで物事を見るとき、目の前のトラブルは小さく見えるようになります。

聖書を通して、神の視点を知ることは、あなたの人生の中に大きな平安をもたらします。

心は土壌

別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。(マタイ13:8)

私たちの心の状態は、成果を出すための鍵です。

聖書のこの箇所では、種まきの例えが語られています。

どんな状態の土地にも種は巻かれるのです。

つまり、私たちすべてに神は常に素晴らしい働きを起こそうとされているのです。

種の成長の度合いは、種が撒かれる土壌、すなわち、神の働きを受け入れる私たちの心次第なのです。

何も良いことは起こらない、このままでは何も変わらないと言っていると、どんな神からの素晴らしい種も成長しません。

必ず神の働きを見るときがくる、すでに素晴らしい働きに溢れていて感謝だと言っていると、神からの素晴らしい種はどんどん成長します。

聖書は、種の成長の度合いが百倍、六十倍、三十倍と色々と異なるとも言っています。

人によって、成果は異なるのです。

他人と比べる必要なないのです。

農家の人が、最大限の収穫を得ることができるように、土地をしっかり耕して、育てるように、心の状態をいつもしっかり整えておくこと、つまり常に、自分の人生に与えらている素晴らしい良いことに焦点を当て続ける時、人生はどんどん素晴らしいものになっていきます!

過去の奇跡に思いを寄せる

あなたの奇しいわざを余すところなく語りつげます。(詩篇9:1)

私たちには人生を振り返ってみると、奇跡としか言いようのないような神の働きがきっとあるはずです。

大変な病気から癒された、事故から守られた、不思議な出会いによって道が開かれた、ある時ひらめいたアイディアが大きなチャンスを生んだ等々、自分の力を超えた働きがそこにあったと言わざるとえないことがあると思います。

そうしたことをただ単にラッキーだったと言って終わらせるのでなく、記録に残し、何度も思い出すのです。

そして、思い返すたびに、神が確実に自分を導いてくださっていることを実感するのです。

この過程を繰り返すたびに神との結びつきが強くなり、神への信頼が高まります。

特に、困難な状況や、閉塞的な状況に直面した時、過去のそうした神の恵みを思い返すことは、信じる力を強めるのに極めて有効です。

神への信頼が強くなる時、まだ見ない将来に対しても、神の働きを確信するようになります。

こうした良い循環に入った時に、日々感謝と喜びに溢れて生きることができるようになり、人生は驚くように好転し始めるのです。

全てから救い出される

正しいものの悩みは多い。しかし、主はその全てから彼を救い出される。(詩篇34:19)

神に与えらた大きなビジョンに向かって歩もうとすると、大きな障害に合うものです。

人はいろんな障害にあうと、不平不満を口にして、ますますその問題のことで頭をいっぱいにしてしまいがちです。

問題のことばかり考えているうちに、ますます気が重くなった経験はありませんか?

困難に出会う時、視点を変えるのです。

問題のこと考えるのをやめて、神の大きな働きに焦点を当てるのです。

この聖書の箇所で、神は、正しく歩むものは多くの障害にあうが、神はその全てから救い出してくださると約束しているのです。

過去に神が幾多の困難から救い出してくださった経験を思い起こしてみてください。

今神が備えてくださっているたくさんの素晴らしいことに目を向けてみてください。

あなたの人生以外にも、神が造られた雄大で大きな自然を見てみてください。

そして、聖書の中にある神の約束を思い起こしてみてください。

目の前の問題から、神の素晴らしい愛と、大きなスケールに焦点が移る時、周囲の環境がどうであっても全く関係なく、心が落ち着き、希望がわき、嬉しくなるのです。

心の状態が周囲の状況によって左右されるところから、内なる神によって、常に平安が与えられるようになるのです。

その時、あなたは試練の嵐の中にあっても、全く動じることなく淡々と前進していくようになり、やがて、神の素晴らしい働きを見るようになるのです!

自分の命を自分のものとしない

自分の命を自分のものとしたものはそれを失い、私のために自分の命を失ったものは、それを自分のものとします。(マタイ10:39)

変化の激しい現代の競争社会にあっては、自分の身を守り、自分が成功することを第一に考える人が少なくありません。

自分の利益を最優先する人同士が、ぶつかった時に生じるトラブルに巻き込まれた経験がある人もたくさんおられることでしょう。

逆に他人のことを思いやろうと思ったら、うまく利用されるだけに終わったと言う人もおられるでしょう。

こんな世の中にあって、どうやって人々との利害関係のバランスを保てば良いのでしょうか?

聖書は明確な教えを説いています。

自分中心の考えは、やがて自分を失うと説いています。

自分中心の考えを捨てて、神のために生きるようになる時に、本当の自分に出会うというのです。

人は自分のことばかり考えていると世界がどんどん狭くなります。

そして、正しい倫理観や判断能力を失っていき、結果的に、最善の方法だと思ってやることがますます自分を苦しめていくのです。

私たちは本来神によって、自分に与えられた才能を用いて、人々に貢献し、究極的には神の栄光をあらわすために命が与えられているのです。

神の存在がわからない時には、まず人々に貢献する、期待される以上の価値を渡すことに集中してみることです。

世界の見方が全く変わって、周囲の人の反応がとてもよくなることに驚くでしょう。

それでも、時々、人のためにと言ってやっている時にうまく利用されることがあるのです。

神のために生きる時、あなたの中に人のためという基準をもう一段超えた、神のためにという基準が生まれます。

その時、高い倫理観と判断能力が身につくようになるのです。

神の視点から見て、正しいことなのかどうかーこの基準を持つ時、必要な時にはNOと言えるようになり、極めて微妙なバランスをうまく保つことができるようになるのです。

そうして神のために生きる時、神に与えらた人生を最大限に楽しむことができるようになるのです!

自分の中にある賜物

あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。(詩篇139:14)

私たちは時々、周囲の人といろんなことを比較して、自分の存在価値を決めてしまうことがあります。

この歳で、このところにいるのは、どうだとか、まだ若いのにとか、こんなことをしている人は他にいない等々、、

神はあなたを一人の最高作品として創っておられるのです。

そのままの自分の中に素晴らしい能力が備わっているのです。

他との比較ではなく、自分を振り返った時、驚くような才能に気がつくようになります。

今の自分を過去の自分と比べる時に、大きな成長に感謝できるようになります。

どんな時にも、神が自分の中に与えてくださった能力を信じて、それに感謝する時、自らの中に眠っていた可能性が目覚めるようになります。

今自分が認識している能力がどんなに小さいように見えても、それを一生懸命磨いて、伸ばそうとする時に、神があなたの成長を助け、自分でも思いがけないような素晴らしい道が開けるのを見ることになるでしょう!

権威の力を超える

あなたの信じたとおりになるように。(マタイ8:13)

イエスは聖書の中で度々病人を癒されますが、直接病人に会わずに、触れずに、癒したのがこの場面です。

ある部隊の隊長が、自分の部下が自分の命令に従うように、権威あるものの命令には、従うものなのだと信じており、神の働きを最高権威と信じていたために、イエスの一言で、病気も癒されると信じていたのでした。

その信じる心を見て、イエスも驚いたのでした。

そして、この言葉だけによって、病人は癒されたのでした。

あらゆる世界にあるものは神の権威のもとにあってコントロールされています。

あなたがどんなに権威ある人の下にあっても、その権威ある人さえも神にコントロールされているに過ぎないのです。

そして、その権威ある人をコントローしている神とあなたは信じる心によってつながっているのです。

このことを知るとき、世の中のどんな人間の策略にも恐れることなく大胆な道を歩むことができるようになります。

人は自分の力の限界を知ったときに何かに頼ろうとします。

多くの人は権威ある人の支えをもらおうと考えて、様々な策略を練るのです。

神とつながるときに、そうしたあらゆる策略を乗り越えて、大きな働きができるようになります。

そして、その大きな働きは神の大きな計画を確実に進めていくのです。

豊かな心

私が来たのは、羊が命を得、また、それを豊かに保つためです。(ヨハネ10:10)

ここで語られる羊とは私たちのことです。

神はあなたに豊かな命を与えようとしておられるのです。

もし、あなたが満足のいくような状況になく、いつも心の中に空しさや、焦り、苛立ちを感じているとしたら、それはあなたが創造主を忘れているサインです。

神はあなたにそうした否定的な気分の中に生きて欲しいとは思っていません。

あれがないから、これがないから、満足がいかないと思うかもしれません。

しかし、豊かさはあなたの中にあるのです。

あなたが外的な条件が整わなければ豊かにならないと思っている間は、決して豊かになりません。

たとえ経済的に満たされても、豊かさを感じることはないのです。

内面的な豊かさは、今あなたのいる状況をどのように捉えるかにかかっています。

神の視点であなたの人生を眺めることができるようになった時、あなたは本当の豊かさを経験するようになります。

何も周囲が変わっていないのに、急に満たされ、嬉しくなるのです。

この感覚を一度経験すると、もう2度と不平不満の人生には戻ろうと思わなくなります。

神と調和した心は、充実した平安な人生を送るための鍵なのです。

理不尽な試練に会う時

全焼のいけにえとしてイサクを私に捧げなさい。(創世記22:2)

神はアブラハムが100歳になってからイサクという子供を授けたのでした。

それはアブラハムにとって、全く常識を超えた素晴らしい奇跡だったのです。

ところが、そんな素晴らしいことをしてくれた神が、その後に、子供を神への捧げ物として捧げなさいというのです。

いくら神のためといっても、誰がこんなに素晴らしい贈り物の子供を捧げ物として焼死させるでしょうか?

とても同じ神からの言葉とは信じられなかったと思います。

ところが、アブラハムはその神の言葉に忠実に従ったのです。

本当に子供を捧げるために斧と薪を持って山に向かっていき、子供を捧げようとした時です。

神はアブラハムの試練に耐える忠実な心を知って、羊を与え、子を守ったのです。

神は時に私たちに全く理解できない試練を与えられます。

しかし、このアブラハムのように、全く不平不満を言うことなく、その中で前進し続ける時、神が忠実な信仰を知って、道を開いてくださるのです。

全く理解できないような理不尽な状況の中で、神の導きを信じて、忠実に正しいことを行い続ける時、信仰が成長するのです。

この事件の後、アブラハムに対する神の働きはより一層大きくなりました。

私たちがどんな時も忠実に歩み続ける時、神ははるかに大きな道を開いてくださるのです!!

小さい子供の信じる力に学ぶ

天におられるあなたがたの父が、どうして、求めるものたちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイ7:11)

親であれば、子供に最善のものを与えてあげたいと思うでしょう。

子供も、親がそうしてくれることをいつも期待しています。

特に子供が、自分の欲しいものを買ってもらえるとなると、喜んで親についていきます。

小さい子供は、自分はそんなものをもらう資格がないと考えたり、親はそんなものを買ってくれないと簡単に諦めたりしません。

親から最高のものをもらえると思って、いつも期待し、信じています。

私たちと神との関係も同じです。

神は、常に私たちに最善のものを与えようとしておられます。

しかも、万能の神はどんなものでもあなたに必要なものを与えることができるのです。

私たちは神の子供です。

小さな子供が、親からいつも最高のものをもらえることを何の疑いもなく信じているように、私たちも神が最善のものを備えてくださっていることを信じて良いのです。

神は求めるものたちに良いものを与えてくださるのです!

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