徹底した信頼

主は私に関わるすべてのことを成し遂げてくださいます。(詩編138:8)

神はあなたの人生に必要なものをすべて備えておられ、「すべてのことを」成し遂げてくださるのです。

それはあなたにとってはいつもいいことばかりではないかもしれません。

時には、思わず神に「どうしてこんな状況に追い込むのですか」と言いたくなるようなこともあるかもしれません。

しかし、その時に不平不満を述べて諦めてしまうか、それでも「神は私のために最善を用意してくださっているのだ、今は自分にはわからないけれども、神は今の状況が私の成長にとって必要なことを知っているから今の状況を与えておられるのだ」と言って、不平を言うどころか、成長させてくださっている神に感謝しながら自分のできる最善を尽くすか、があなたの人生を大きく分けるのです。

神は私たちにとって必要なものをすべて備えておられます。

私たちは神ではないので、何が本当に私たちにとって最善なのかはわからないのです。

困難や試練を通して成長し、自分の中に眠っていた能力が開花するのに気がつくものなのです。

自分の気分で状況に反応するのでなく、どこまでも徹底的に神の最善の導きを信頼するとき、あなたの態度、行動は自然と前向きなものになり、それが本当に困難な状況を突破させ、人生を大きく変えるのです!!

全き人

ノアは正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神と共に歩んだ。(創世記6:8)

ノアの箱船の話は聖書の中でも特に有名なところです。

神が洪水が来ることを予言して、ノアに大きな箱船を作って、準備をさせ、限られた人や動物のみを乗せて、洪水から救ったのでした。

洪水が来る前のことを想像してみてください。

ノアはきっと周囲の人からは変わった人だと思われていたことでしょう。

なんの洪水の兆候もない、晴れた日に、神の言葉を信じて、一人で黙々と大きな船を作っているノアを嘲笑っていた人もたくさんいたと思います。

聖書の中に登場する神に用いられた人に共通する特徴の一つは、周囲の人の言葉より、神からのことばを信じ続けて、状況や環境に関係なく、大胆に行動を継続したことにあります。

そして、これは現代の私たちにも共通することなのです。

ノアが洪水を見る前に神の導きを信じて、黙々と行動し続けたように、誰にも見える明らかな兆候が現れるはるかに前から、あなたは神の働きを信じて行動し続けることができるのです。

あなたの忠実な働きは、人には見えなくても、神には確実に覚えられているのです。

そして、やがて神の大きな働きを見る時がやってくるのです!!

常識を超えた奇跡

主は私の力であり、ほめ歌である。主は私の救いとなられた。(出エジプト15:2)

モーセがイスラエルの民を率いてエジプトから脱出した時に、彼が語った言葉です。

イスラエル人はエジプトで奴隷として働いていたので、イスラエル人が逃げるとエジプトは困るため、エジプトの軍が脱出したイスラエル人を追いかけてきた時のことです。

エジプト軍が背後に迫って、もう本当にどうしようもない時に、神はモーセを用いて、海の中に道を作らせたのでした。

そしてその海の中にできた道を通ってイスラエル人が脱出したのちには、その道はまた海の水で閉ざされて、エジプト人はイスラエル人の後を追うことができなかったのです。

海の中に道ができるなんて常識ではとても考えられない話です。

しかし、神を信じて忠実に歩む者には、常識を超えた奇跡的なことが起こるのです。

危機的な状況の中で、神の働きを信じて歩み続けることこそが、あなたの人生に大きな変化を見るための鍵なのです!

私たちを通して

私は、私の力をあなたに示すためにあなたに立てておく。(出エジプト9:16)

神はあなたを通して神の力の大きさを表そうとしておられます。

今のあなたの状況や環境がどうであろうと関係ないのです。

むしろ、今の状況が思わしくないような状態であった方が、神の働きの大きさを見ることができるのです。

神は私たちの人生を完璧な計画の中で導いておられます。

あなたがどんな困難に出会っても、すべてのことは神があなたを通して神の力の大きさを表すためなのです。

あなたの人生の次のステージには驚くような展開が待っているのです!

最強の味方

主はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。(イザヤ30:18)

この聖書の言葉は素晴らしい励ましです。

何回も口に出して繰り返してみてください。

神はあなたのために働こうと待っておられ、立ち上がられるのです。

あらゆるものの動きをコントロールしている神があなたのために働かれるのです。

自然の動き、季節の移り変わり、星座の動き、月の満ち欠け、太陽の光、、、どんなすごい力が働いているか想像できるでしょうか?

そのものすごい力があなたの人生を支えているのです。

あなたがどんな状況にあろうと、どんな抵抗にあっていようと、全く関係ありません。

最強の味方があなたと共にいるのです。

この約束を軽々しく見逃してはなりません。

神はいつでもあなたの近くで待っておられます。

あなたがその最強のパワーを信じる時、あなたの人生が確実に変わり始めるのです!

歩みを確かにする主

人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かにするのは主である。(箴言9:16)

神はいつも私たちの思いをはるかに超えた最善の道を用意しておられます。

そのことを本当に信じる時、今の自分の道が良くても悪くても、将来に対して決して尽きることのない明るい希望を持つことができるのです。

過去を振り返ってみれば、誰にでも不思議な方法で道が開かれてきた経験があるでしょう。

神はあなたの人生を一生にわたって見守っておられます。

神の導きに完璧な信頼を寄せる時、あなたの人生は感謝と喜びで満ちたものになるのです!

神の基準

何をするにも、人に対してでなく、主に対してするように、心からしなさい(コロサイ3:23)

この聖書の言葉は、私たちの生き方についてとても大切な教訓を語っています。

私たちは、ともすると、人が見ていないと、気が緩み、時に手を抜いてしまう傾向があります。

しかし、あなたの中に、神との確固とした関係が確立される時、あなたの中の基準は自然に引き上げられます。

あらゆる自然界の動きを完璧に支配している神の基準は、その精巧さ、緻密さにおいて、どんな人間の働きよりも質が高く、決して手を抜くことがなく、常に最高水準にあります。

そして、その神はあなたの働きをどんな時も見守っているのです。

神はあなたが手を抜いたからといって、あなたに罰を与えたり、あなたを懲らしめたりは決してせずに、いつも温かい目で見守り、あなたを助けようとしておられます。

また、同時に、あなたのどんな小さな隠れた努力も、正しい行動も、良い行いをも決して見過ごしていないのです。

誰も見ていなくても、神は見ています。そして、神はそのあなたの良い行い、努力を大変喜んで、何倍にもしてあなたの人生に返してくださるのです。

人は評価しなくても、神は評価してくれているのです。

あなたの中に神の基準が確立される時、あなたの働きの基準は自然に引き上げられ、時とともに、あなたの努力の積み重ねは、素晴らしい神の働きを進めるのです!!

本物の平安

人のすべての考えにまさる神の平安(ピリピ4:7)

この聖書の箇所が語る平安こそが、究極の癒しです。

世の中には様々なリラックスや癒しのツールや方法が溢れています。

いろいろなイベントやレクレーションもその一つでしょう。

でも、あなたはすでに気づいているはずです。

すべての癒しは一時的であるということを。

そして、次々とあなたの心を癒すための方法を探し続けることになるのです。

本当の平安はあなたの中から生まれます。

外からの治療ではありません。

あなた自身が神と繋がる時、あなたが考えるあらゆるレベルを超えた平安がやってくるのです。

そのためにどうすれば良いかが前節に書かれています。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持って捧げる祈りと願いによって」

です。

あなたの中に神が人生を完璧に導いておられるという確信がある時、何も思い煩わなくなります。

そして、その確信が感謝を生み出すのです。

その確信のレベルは「あらゆる場合に」なのです。

あなたがどんな状況にあっても、「ありがとう」と素直に神に語ってみてください。

それを繰り返すうちに、神の完璧な導きが確信のレベルに至るのです。

すべてはあなたのために備えてくださっているのです。

人のすべての考えにまさる神の平安を手に入れる時、あなたの人生は劇的に変わっていきます。

そして、その変化は内から始まるのです!

満ち足りる

私はどんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。(ピリピ4:11)

この聖書の言葉は満ち足りた充実した人生を送るためにとても大切なことを表しています。

私たちはどんな状況にあっても、今あることに感謝することができますし、ないものを探すこともできます。

自分に欠けているものや、所有していないものを探しはじめればいくらでも見つけることができます。

特に自分より恵まれた環境にいる人を探し出して、自分と比較すれば、容易に足りないものだらけになるのです。

そして、不足しているものに目が行く時、決まって心は不安定になり、楽しみが消えます。

ところが、今与えられているものを探し始めると、また面白いように見つかるものです。

自分の健康、衣食住から始まって、いろいろな大変な状況にいる人々の話を聞く時に、自分はなんて恵まれているのだと思うようになるものです。

私たちは、もともと何か足りないものに目が行くようにできているのです。

自分で意識して、考えの焦点を合わせない限り、心の中がいつまでもモヤモヤしてしまいます。

考えの焦点をどこに向けるかというのは完全に習慣の問題です。

何回も意識的に自分の焦点を恵まれているところに向け始めると、それが次第に習慣になり、まさにこの聖書の言葉を実感できるようになるのです。

あなたの心が、どんな境遇でも本当にいつも恵まれていると思えるようになってくると、自然に自分の人生が神の導きによって守られていることが実感できるようになります。

その時、あなたの思考は神の計画と波長が合うようになり、あなたの人生はますます素晴らしいものになっていくのです!

求め、探し、叩く!

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)

聖書の中の有名な言葉の一つです。

本当に信じて、求め、探し、叩けば道は開かれるのです。

求めること、探すこと、叩くことはすべて私たちの自発的な行動です。

決して、聖書は信じて待っていたら何でも与えられると言っているのではありません。

本気で信じる時には、必ず行動が伴うのです。

信じることは行動を生むためのエネルギーです。

本気で信じているかどうかは、行動を見ればすぐにわかります。

信じる力は明確なイメージの中から生まれます。

あなたが自分が神によって命が与えられていることを本当に知る時、あなたの中に明確な使命がイメージを伴って生まれます。

世の中の喧騒から逃れ、静かに自分に命を与えている存在に心を向けてみてください。

あなたの中の心に変化が必ず起きます。

あなたが内側で神に繋がる時、イメージが与えられ、信じる力が強められ、自然に行動が伴ってくるのです。

思うように前に進めない時、気力が湧かない時、そのような状態にある自分を責めたり、環境を嘆いたりしても何も変わりません。

心の中に、神の存在を意識し始める時、内から湧き上がるパワーが、あなたを突き動かすのです。

そのパワーによって前進し始めたあなたを止めるものは何もありません!!

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