聖書の解釈についてはいつの時代にも色々な議論があります。
そのために専門家もたくさんいて、神学が学問として確立されることができるのです。
もし、解釈が一つしかなかったら、議論の余地もなく、学問など成り立たないでしょう。
聖書を語るメッセンジャーにも色々な人がいて、いろいろなメッセージがあります。
時に、この異なった解釈は、聖書を実生活に適応しようとすると、混乱の元になることがあります。
これが多くの人々が聖書に近づけない理由の一つでなないかと思います。
特に初めて聖書に接する時、その難解な時代背景と、信じがたいような話の連続に、途方にくれるものです。そこに異なった解釈が加わると、もうお手上げになってしまうのです。
ところが、いろんなメッセージに触れ、いろんな解釈に触れ、困惑しながらも、毎日聖書を読んでいると、ある日、突然とメッセージが「わかる」時がくるのです。
それはまさに、聖書の言葉一つ一つが聖書の中から飛び出てきて、自分に語りかけているような感覚です。
これを聖書は「精霊の働き」と呼んでいます。
創造主である神は、私たちの中に生まれながらにして、神の概念を直感的に理解することのできる能力を備えておられるのです。
この能力は、私たちが神を理解しようとしなければ、決して開花することはありません。
そして、多くの人がこの能力の存在に気づくことなく、一生を過ごすのです。
時には死の間際になって、本当に神に近づくようになって、この能力が開花して、急に目が開かれる人もいます。
人は、人生のどこかの時点で、この神を知る能力が開花します。
いつでも開花し得るのですから、死の間際まで待つ必要はないのです。
一旦この能力が開花すると、急に目が開かれて、聖書を通して神と直接的につながることができるようになります。
生活のあらゆる時に、神の存在を意識し、神の助けを得ることができ、神による圧倒的な平安を得ることができるようになるのです。
そして、同時に、あらゆる世の中の教えの根源が、聖書の中にあることを悟るのです。
この時には、聖書の解釈に対する議論を極めて客観的に見ることができるようになります。
まるで政治家たちの議論を端からテレビで眺めているような感覚です。
政治家たちがどんな意見を言おうと、あなたの今の生活がその時点ですぐには変わらないように、人がどんな解釈を語ろうと、神と直接的につながるようになったあなたには、もう大きな影響はありません。
また同時に、精霊があなたに本当に有益なメッセージを判断させてくださいます。
こうして人に惑わされず、神に従うようになった時、人生に大きな変化が訪れます。
これまでに経験したことのないような、心の安定と、平安、希望、力、感謝が湧いてくるのです。
聖書は神と繋がるようになるための鍵です。
だからこそ、聖書は、時代を超えて、2000年以上にもわたって人々の心を捉え続けてきているのです。
このブログのメッセージが、あなたの中に与えれた神につながる能力を開花するために役に立てば幸いです。