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立ち返る

“こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かった。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。”

ルカの福音書 15章20節

私たちは時々困難な状況に囲まれると、周囲の現実に目を奪われて、先行きが見えなくなってしまうことがあります。

そんな時こそ、あらゆる周囲の限界をシャットアウトして、もう一度神の導きを求めるのです。

あらゆる不可能と思わせる声や情報から一旦距離を置いて、神の働きの大きさに目を止めるのです。

これまでに多くの偉大な人々が経験してきた神の奇跡的な導きを学んだり、自然の中にある静かでも確実に動いている神の働きを感じたりして、自分の中にある感覚のスケールを引き上げるのです。

神の働きが無限であることをしっかり心に刻んだ上で、もう一度現実に戻る時、不思議なことに状況や環境が何も変わっていなくても、神の導きによって道が開かれるような気がして、希望が湧いてくるものです。

そうして、何かできることを行動に移し始める時、そこから神の不思議な導きで道が開かれてくるのです。

やがて、神と共に歩むことの素晴らしさを知ったあなたは、神に用いられて、豊かな人生を歩むことになるでしょう!

常に忠実に歩む

“イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。”

ヨハネの福音書 2章7節

イエスがこの箇所で語ったように、神は時には私たちに理解できないようなことをやるように求められることがあります。

思わぬ試練や、予期しなかったトラブルや、全く計画していなかったチャンスや、出会い、等々、人間的な考えだけでは理解できないような方向へ私たちを導かれることがあります。

そうしたあらゆる導きは、神の導きなのです。

誰かのためにそうなったわけでもなく、自分の失敗のためでもなく、ただ単に神の計画の新しい1ページなのです。

そうして、あらゆる状況を神の導きとして受け入れ、その中で自分にできることを行い続ける時、神があなたにできないところに働いて、素晴らしい道が開かれていくのです。

どのような理不尽な状況や、予期しない事態に遭遇しても、神の導きの中にあることを信じて歩み続ける時、あらゆる神の助けを得て、不必要な不安やストレスから自由になって、神に与えられた素晴らしい人生を生きるようになるのです!

毎日の小さな成長

“ですから、私たちは、平和に役立つことと、互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。”

ローマ人への手紙 14章19節

競争の激しい現代社会にいると、共すると自分を見失ってしまうことがあります。

周囲や他人との比較によって、自分の相対的な立場を決めていると、人生がとても不安定になってしまいます。

そんな時、毎日の過去の自分との比較によって成長を実感するのです。

どんな小さなことでもいいのです。

何か新しいことにチャレンジしたり、ちょっとしたやり方を変えてみたりして、昨日よりも、昔よりも成長した自分を毎日発見し続けるのです。

ちょっとした人々への気遣いや、言葉遣いを変えて、少しでも良い影響を身近にいる人に与えようとしてみるのです。

そうした毎日の小さな成長に集中することの積み重ねが、気がつくと自分でも考えることのできなかったような大きな変化を生み出していくのです。

大きなビジョンに向かって、小さな今日の成長を楽しむことによって、神に与えられた素晴らしい人生が展開していくのです。

神のビジョンと言葉に集中する

“わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。”

エレミヤ書 29章11節

どんな状況にあっても、私たちは今自分ができることに全力で精一杯取り組むことができますし、人がなんと言おうと、状況がどうであろうと、自分の中にイキイキとした神からの大きなビジョンを描き続けることはできるのです。

先が見えないから、人々にそんなことはできないと言われたからと言って、自分がそれを受け入れる必要はないのです。

自分が自分に語る言葉の数や、自分でビジョンを描くことのできる時間は実は思ったよりも多いものです。

後悔や失敗、不安に使う時間を、神の希望と力に溢れた言葉を受け入れ、語る時間に変え、あらゆる否定的なビジョンを神の大きなビジョンに置き換え続ける時、思うところ、願うところをはるかに超えた素晴らしい人生が展開していきます!

大きなビジョン

神はいつも思うところ、願うところを遥かに超えた素晴らしい働きを進めておられます。

たとえ、今限界を感じていることがあっても、目の前に解決することが難しいような困難な状況があっても、経済的に厳しくても、健康面で問題があったりしても、神はすべて、それらのことを知った上で、それらの困難を通して大きな働きをされるのです。

あなたの前にある壁は、すべて神があなたの考えることのできるスケールを遥かに超えた働きをするためのチャンスに過ぎないのです。

新しい問題に直面するたびに、それはまた神の素晴らしい働きを見るための機会だと思える時、私たちはどんな状況にも決して落ち込むこともなく、気落ちすることもなく、神の前に素晴らしい働きを信じて前進していくことができるのです。

どのような状況にあっても、今日できることがあります。

今日できることにベストを尽くした上で、周囲の状況がどうであっても、自分の心の中に神の素晴らしい大きなビジョンを描き続けることができるのです。

どんなチャレンジな状況にあっても、神に与えられた可能性に蓋をすることなく、神が与えてくださる素晴らしい働きとビジョンにいつも焦点を合わせて歩み続ける時、あなたは神の働き人としてどこまでも大きく用いられることになるでしょう。

否定的な言葉と戦う

“私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。”

ピリピ人への手紙 4章13節

私たちの中には周囲の人々や様々なメディア、またときには自分の語る言葉から様々な影響を受けています。

私たちはそうした言葉を聞くとき、フィルタをかける必要があるのです。

聞いた言葉をそのまま受け入れてしまうか、それとも否定的な言葉を前向きな言葉に変えて受け止めるかが、神の働きの大きさを決め、幸福度を決めるのです。

どんな状況でも、物事を前向きにも否定的にも捉えることができます。

どんな言葉よりも神の言葉に力があるのです。

こんなことは難しくてできない、こんな状況は変わらないという言葉を受け入れてしまうかわりに、私は私を強くしてくださる方によってどんなことでもできる、神の新しい素晴らしい計画は背後で確実に進んでいると言い換えるのです。

あらゆる言葉を聞くたびに、それが否定的なものであるのか、前向きで自分を勇気づけるものであるかを敏感に分析して、徹底的に否定的言葉を言い換えていくのです。

私たちは時々勇気づけられる言葉を聞いて、気分を高揚させることがありますが、なかなか日常の1分1秒に至るまであらゆる時に言葉をコントロールしていないものです。

いつも徹底的に言葉をコントロールし、神の言葉に波長を合わせ続ける時、神の大きなビジョンをみて素晴らしい人生を歩むようになるのです!

尾ではなく、頭とならせる

“わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。”

エレミヤ書 29章11節

神は私たちを素晴らしい働きの中に導こうとされています。

私たちは時々毎日の生活に慣れてしまい、そうした今の日常 のレベルが、これからもずっと続くような感覚に陥ることがあります。

しかし、神はあなたのために、思うところ願うところをはるかに越えた超えた素晴らしい働きを用意しておられるのです。

それは、あなたが描いているような最善を遥かに超えた奇跡としか思えないような素晴らしい道なのです。

そこに至る道のりは、必ずしも平安で容易なものではないかもしれませんが、神は確実にあなたの中の才能を用いてあなたにしかできないことを通して、今あなたが考えることのできる生活レベルを遥かに超えた素晴らしい所へと導こうとしておられるのです。

世の中の常識や考えに基づいたビジョンではありえないようなことを、神との約束の言葉によって信じ続けることができるのです。

そして、たとえ今の状況がその状況とはかけ離れていても、あなたの中には、神が最善のタイミングで一つ一つ扉を開けていってくださるという信念が植え付けられるようになるのです。

その時、あなたは目の前の一つ一つのことに着実に取り組むことができるようになり、同時に目の前に開く扉に勇気と希望を持ってチャレンジすることができるようになるのです。

神が用意されている素晴らしい人生を思う存分に生きることができるかどうかは、神がすでにに備えてくださっている思うところを願うところを超えた素晴らしい人生を、いつも頭の中に生き生きと描くことができるかどうかにかかっているのです。

私たちがそうしたビジョンをあきらめてしまうことなく、神のビジョンにいつも焦点をあわせ続ける時、日々の生活の中に神の素晴らしい働きが1つ1つ、いろんなところで、小さな形で現れてくるようになり、神の働き人としてどこまでも大きく用いられることになるでしょう。

小さなことを大切にする

“最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。”

ルカの福音書 16章10節

誰が見ていなくても、どんな状況にあっても、常に日々の小さなことをひとつを大切にして、神の前にベストを尽くしていくことが、結局は神の素晴らしい働きを進めることにつながっていきます。

人が見てないからとか、こんなことをやっても無駄になるからと言って、目の前にあるやるべき小さなことを時々おろそかにしてしまうことがあります。

しかし、私たちは、どの働きが神に用いられて、大きな奇跡につながるか全く予想できませんし、将来の計画を見通す事はできません。

だからこそ、どんな小さなタスクに見えても、目の前にある神様に与えられたことに、ベストを尽くし続けることが大切なのです。

私たちの行動のレベルの基準が、周囲や社会の評価のレベルではなく、神に喜ばれるレベルに引き上げられる時、自然とあなたは細部に至るまで、最善のやり方でやろうと色々と工夫するようになるでしょう。

仕事であれば、最善の結果を出すためにベストを尽くしでしょうし、体の健康管理であれば、最善の体調を保つために、いろいろなことを試すでしょう。家族との時間の使い方や過ごし方も色々と最善の方法を探し続けるでしょう。また人間関係をよくするために、1つの言葉にも、仕草にも自分の最善を尽くすでしょう。

私たちは神ではないので、全てに完璧であることはできませんし、神も私たちが完璧ではないことを知っています。

でも、その上で、神の栄光のためにいつもベストを尽くし続ける時、あなたのあらゆる行動の基準が引き上げられ、そしてそれがあなたの持てる才能を引き出し、神の働き人として用いられることがつながっているのです。

あるゆる時に妥協せず、自分のベストを尽くし続け、どんな小さな事にも常に神の働きのために最善を尽くし続ける時、あなたの人生は神に導かれて素晴らしいものに変わっていくことでしょう。

完璧な信頼と着実な歩み

“わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。”

エゼキエル書 36章24節

私たちは、自分の周りで起こることや、将来の事は、すべてが自分の思う通りには行かないことがあるのを知っています。

でも、同時にさまざまな期待や夢を抱いて、その実現のために努力するのです。

夢や目標が叶うと、一時的には達成感を感じますが、モチベーションを保つためにまた次の目標や夢を追いかけていることがあります。

どこまで行っても終わりのない、エンドレスゲームを走っている自分に気がつくことがあります。

また、それまで自分には価値があると思っていた目標が、突然そんなに価値のあるものでないように思えてくることもあります。

自分の人生をデザインされている創造主と共に歩んでいなければ、私たちの人生はジェットコースターのようになってしまいます。

あらゆる物質的に、目に見える目標を追求する時には、必ずその背後にある神の導きを実感することが大切なのです。

神と共に歩む時には、1日1日の中に自分自身の進歩が感じられ、どんな小さなことでも神のために最善を尽くして歩むことへの充実感があります。

他人との競争に勝つ喜びよりも、昨日の自分に比べた進歩への喜びがあります。

目標の達成や、人の評価や経済的なものは、神との着実な歩みの中から生まれてくるのです。

神の前に正しいことにベストを尽くしているという感覚を持って、神の導きに従っている時には、むやみに近道を探したり、不当な方法を取ったりすることはなくなります。

なぜなら、目標の達成よりも、神の前に忠実に正しく歩むことの方が優先順位が高く、大切だからです。

そして本当に価値のあることを達成するためには時間と労力が必要なことも知っているからです。

神に導かれ、確実に毎日正しいことを着実にやり続ける時、人間的な策略ではなく、神の計画によって、あなたの人生は素晴らしい方向へと導かれていくのです!

感情を越えた働き

“怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。”

エペソ人への手紙 4章26節

私たちはどんなに神様を信じていても、どんなに自分の意志の力が強くなっても、怒りや悲しみやまた、様々な感情が湧き上がってくるのは人間としては当然なことなのです。

しかしその感情をそのまま外に出すか、それともそれをコントロールして、違う方向に転換することができるかどうかが、人間としての人格または成熟度を示す尺度になってくるのです。しかし、感情のコントロールを全て自分の意思の力だけでしようとすると、自らの中に感情を閉じ込めてしまうことになり、結局はそこからストレスが生まれ、私たちの持っている本当の力を出せなくなってしまうことがあります。

否定的な悲しみや怒りや落ち込みといった感情が生まれてきた時、それを全て神の手に委ねるのです。

否定的な感情には理由があるのです。その理由の多くは私たち自身のエゴに根ざしています。正当に扱われず自分のアイデンティティを傷つけられたり、自分の期待と計画通りに物事が進まなかったりと、自分の考えや計画と現実の乖離から否定的な感情は生まれます。

そんな時には、自分の囚われた小さな考えから、神の大きなスケールに焦点を移すのです。

自分の周りで起こる全てのことは、どんな小さなことも、最善の神の計画の中で導かれているのです。

すべてのことを神の手に委ねてしまう時、特に大切だと思っていたことや、価値があると思っていたことも神の目からすれば、実はそんなに大きなことではなかったり、大きな問題や怒りの原因も、実はそんなに大きなことではなかったことに気がつくものです。

否定的な感情が生まれる時には、その理由がありますが、それを全て神の大きなスケールの視点から捉え直す時、私たちは自然とあらゆる感情を乗り越えて、神が与えてくださる平安の中で過ごすことができるようになるのです。

5/26/23 #550

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