“そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」
しかし、彼と一緒に上って行った者たちは言った。「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」”
民数記 13章30~31節
人によって、同じ状況に直面していても 異なった解釈をするの見たことがあるでしょう。
この聖書の箇所でも、ヨシュアとカレブは同じ敵を見ていましたが、彼らの解釈は全く異なっていました。
一方は敵の強さと数の多さに緩んでいる一方で、カレブはその状況の中でも敵を打ち破って前進できると報告していたのでした。
そして そして彼らの解釈はただ単に自分たちの行動を決めただけではなく、周囲の人々に までも影響を及ぼしていったのです。
彼らの同じ状況に対する解釈の違いは、彼らが普段考えているものの考え方見方から生まれたのは間違いありません。
私たちの価値観は、日々の一つ一つの小さな事に どのように反応するかによってつくられているのです。
そして私たちの反応は、自分にかたりかけている言葉を聞いてみればわかります。
時に静かになって客観的に自分の頭の中に響いている言葉を分析してみてください。
不平不満で渦巻いているか、感謝と喜びで満ち溢れているか、すべては 同じ物事を違った角度から見ているに過ぎないことが多くあります。
また今のことに集中していないために、不必要に将来の不安に囚われたり、過去のことにとらわれたりして、正しい解釈ができなくなっていることもあります。
神と共に歩む時、希望と力を与える言葉が蓄えられるようになり、そうした言葉が不平や不満の言葉と置き換えられます。
神の導きに従った歩みは、将来の不安や過去の過ちから自分を自由にしていきます。
日々の小さな一つ一つのことに対して、いつも神を前に置いて歩むようになった時、あなたの物事の見方は根本から変わり、やがてあなたの人生の中に大きな変化をもたらしていくことになるでしょう。
神の働きを期待すればするほど、信じれば信じるほど、面白いことに、あなたの現実とのギャップが大きくなっていくのですね。なぜなら、神の働きは、常にあなたの思うところを願うところをはるかに超えているからです。人は、この神の素晴らしい恵と働きを聞いたとき、それを期待し、それに希望いただくと同時に、現状とのギャップに失望し、ストレスを覚えることもあります。
しかし神の素晴らしい働きは、そして神の素晴らしいビジョンは、実は神に従うと言うもう一つの大切な要素を抜きにしては起こり得ないのです。
神が素晴らしいビジョンを与えてくださったある時、そこに至るまでの道のりはいつも必ず自分の考える通りのシナリオでは進まないことを忘れないでください。
ときには自分にとって一時的に楽しくなかったり、不快に思ったり、苦労したり、散らかったりするところを通るかもしれません。
それでもそうした1日1日の中で、それでも神がいて下さるから大丈夫、神の前に今日できることを今一生懸命にやろうと言って、日々1日1日上に導かれて歩むときに、神の働きは、最善のタイミングで一つ一つをされていくのです。神にビジョンを与えられたら、自分の計画で進むのではなく、神のペースでことが進むことを同時に受け入れなければなりません。私たちは短期的な視点でしかものを見ることができないので、しばしば上の大きな計画から目が離れてしまい、そのことがいつの間にか神の恵みから離れることにつながってしまうのです。私たちがもう一度神に立ち返る時、神の素晴らしいビジョンは、神の計画とペースの中で起こることを想い起こすでしょう。そして神と共に神の導きに従って歩む人生を歩み始めた時、あなたの毎日の生活は、ますます素晴らしいものに帰られ、そして神の大きなビジョンは、一つ一つ実現に歌っていくことでしょう。