平安を与える計画

“わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。”

エレミヤ書 29章11節

時々過去の誤った判断や行いを思い返してしまうことはありませんか?

誰でもそんなことはあると思いますし、それは反省を促して、さらに成長するための大切なきっかけです。

時には、そればモチベーションになることもあるでしょう。

でも、あまりにも思い返しすぎて、自分の中に否定的な影響を与え始めていると感じたら、心の方向を転換する時です。

どのような過ちも、間違った判断や、よくない行いも、神の前に大きすぎる失敗はありません。

神はあなたの過去の失敗を全て知っていますが、それらを一つ一つ責めたりしません。

万能の神は、あなたがどんな失敗をしても、それをあまりあって取り返すことのできる素晴らしい計画を持っておられるのです。

あらゆる失敗を遥かに超えた計画であなたの人生を守っておられるのです。

どのようなことも神の許しなしには起きる事はありません。

あなたの間違ったと思えるような選択すらも、それは神の計画の1部なのです。

神がすべてのことを通して人生を良い方向に導こうとしておられます。

過去の過ちや失敗ではなく、将来の神の大きな素晴らしい計画に心を向けて、焦点を当てる時、神の大きな働きが流れ込んで、状況は変わっていくのです!

ゆるぐことのない基盤を持つために

“そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになるように命じなさい。」

イエスは悪魔に答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない』と書いてある。」”

ルカの福音書 4章3~4節

私たちが生きている社会では、自らの能力を示すために、様々な方法で自分が貢献できることを探して、それを生かすことのできる場を探す必要があります。

そうして気がつくと、自らの価値を、周囲からどれだけ評価されているかで決めてしまっていることがあります。

聖書のこの箇所で、イエスはいろいろと試みを受けて、持つ力を人々に誇示させようとしましたが、イエスは全く取り合わず、まっすぐに神に与えられた使命に向かって進んでいったのです。

自らの価値は周囲によって決められるのではなく、今命が与えられていることが、既にあなたが神の子として大きな価値と役割が与えられている証拠なのです。

働きが社会的に見て大きいか、小さいかは問題ではありません。今自分がいるところで、自分のできることを精一杯にやり、人が見ているかどうかにかかわらず、神の前に常に最善を尽くし続けるのならば、神はすべての働きを見ておられ、やがて思うところを願うところを超えた素晴らしい所へと導かれることになるでしょう。

そして、何よりも、神に与えられた才能を最大限に用いて、毎日その日できることにベストを尽くしたと言う充実感の積み重ねが、幸せな人生につながるのです。

否定的な声に立ち向かう

彼のうちには真理がないからです。

ヨハネの福音書 8章44節

聖書にはサタン(悪魔)と言う概念が書かれています。

何か悪魔と言われると不気味なものを想像してしまいますが、これは誰の中にもある否定的な考えや声のことを指しているのです。

私たちは、日々の生活の中で、知らないうちに、たくさんの否定的な声を自分の中に聴いています。

そんな事は自分にはできないとか、あんなことをやらなければよかったとか、こんな才能は自分にはないとか言った声をふとしたきっかけに、自然に自分の中に語ってしまっていることがあります。

私たちがこうした声に対抗する手段を持たなければ、知らず知らずのうちに、そうした声を受けてしまい、自らのうちに神が与えてくださった多くの可能性を引き出すことができなくなってしまうのです。

聖書の中には「あなたはあなた方を強くしてくださる方によってどんなことでもできる」とか、「神はいつもあなたのために最善を備えてくださっている」といった自らの中に響く否定的な声に立ち向かうための素晴らしい言葉がたくさん染められています。

神につながる時、こうした言葉が本当の力を持って、自分の中に響く否定的な声を退けていくのです。

まず、自分の中に響いている声を神が語られている言葉で一つ一つ置き換えていく時、あなたの中に知らない間に作られた壁や鎖が解き放たれて行くのです。

そして、あなたは今まで全く気づくこともなかった神に与えられた素晴らしい才能を見出していくことでしょう。

目標と計画はどこから?

“あなたにこのことが示されたのは、主だけが神であり、ほかに神はいないことを、あなたが知るためであった。”

申命記 4章35節

将来に対して計画を持って人生を歩むことが大切だと教えられてきたことがあると思います。

自分の中にこうありたいと言う目標を持って、それに向かって一つ一つ計画を立てて前進していくことが大切だと言われてたことがあるでしょう。

確かに、そうした確固たる目標に向かってまっすぐに進み続ける事は大切ですが、私たちが神の大きな存在をいつもその計画の前に置いておかなければ、私たちが立てた目標や計画は、いつの間にか、自分の限られた考えのスケールにとどまってしまうのです。

時に、神は私たちの考えるスケールを遥かに超えた大きな新しい目標と計画を用意しておられることがあります。

それはしばしば、全く予想もしなかったような困難や逆境の中を通して語られたり示されたりすることがあるものです。

どんなに頑張っても思うように、道が開けない時、いつまでも、自分の狭い限られたスケールの中の考えにとどまることなく、神があなたのために備えられているもっと大きな計画あることを思い起こしてください。

その時、あなたは、これまでとは違った行動に出ることになり、そして全く今までの計画になかったような出会いやチャンスを通して、自分の狭い考えを遥かに超えた神の大きな計画を見ることがあるのです。

私たちがこの神と共に歩むことの素晴らしさを知るとき、自分の狭い小さな考えに固執することなく、いつも自らの中に語られる小さな声に素直に従って歩むようになるでしょう。

その時、あなたは、今まで考えたこともなかったような素晴らしい人生が開かれてくるのです。

2倍の祝福

“あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、人々は自分の地で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが自分のものとなる。”

イザヤ書 61章7節

神は あらゆる時に、 私たちと共におられ、日々の生活の1つ1つを 見ておられます。

私たちが不当な扱いを受けたり、思うように 事が運ばなかったとしても、神はただそれを単に黙って見ておられるわけではありません。

神は完璧な計画の中で、 あなたの人生を導いておられるのです。

今どんなに 厳しい状況にあるように思えても、 すべての状況は一時的であり、必ず状況が変わり、神の導きによって大きな展開を見る時が必ずやってくるのです。

あらゆる厳しいと思える状況は、 あなたの精神を鍛え、さらに神に近くなり、神と共に歩むことができるように導いておられるきっかけに過ぎないのです。

どんな困難な状況の中にいても、こうした神の視点からもう一度置かれた状況を客観的に見ることができる時、 今の状況は一時的であり必ずこれを通してさらに良い状況へと変わっていくのだという 確信が湧き上がってきて、不必要なストレスから解放されるのです。

そうやって心が軽くなったときに、今まで見えなかったチャンスに気がつくようになり、今まで意識していなかった自分の中にある 才能が 発掘されて、状況が本当に変わり始めるのです。

困難な状況にある時、神を見上げることによって、心を浮上させるのです。

やがてあなたは神の素晴らしい計画を信じて 前向きに進むようになり、本当に状況が奇跡的に展開していくのを見ることになるでしょう。

神に基づいたアイデンティティ

“自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。

自分たちの心を、両手とともに、天におられる神に向けて上げよう。”

哀歌 3章40~41節

私たちは自分の存在価値、アイデンティティーを、外的な目に見えるもので規定しているものです。

あなたが所有しているもの、立場や肩書、職業によって、自分は社会の中でどのような立場にあって、どのような役割があるかを規定しているものです。

でもあなたのアイデンティティーが、そうした外部にあるものに 基づく時、外部の環境が変わるたびにあなたの中のアイデンティティーは揺さぶられることになります。

自分が何者であるかと言う価値観を決めている基盤が揺さぶられる時、自分の存在自体に危機感を覚えるようになり、それが様々な変わった形として外に溢れ始めるのです。

それは時に怒りであったり、悲しみや鬱であったり、闘争心であったりといった様々な否定的なものに形を変えてあなたの外に現れ始めるのです。

それまで自分の存在を支えていたはずのものが、一転してあなたの存在を脅かすものに変わっていくのです。

そんな時、もう一度神に向かい合って、自らの創造主を覚えることが大切なのです。

あなたは何をしていようと、社会的にどんな存在であろうと、経済的にどのような状況にあろうとも、神はいつもあなたを最高の存在として見てくださっているのです。

どんなに外に風が吹きあふれてようと、どんな時もいつも共におられる神が常にあなたを温かく見守っているのです。

神があなたのために備えてくださった最高の人生は、今の外的な環境の嵐に全く左右されることなく一つ一つ確実に進んでいくのです。

神の完全な守りと導きを知った時、何とも言えぬ人知をを超えた神の平安が与えられ、それが結果としてあなたの中に本当に落ち着いた行動を促し、今自分のできることのベストを尽くすようになるのです。

神に基づいたアイデンティティーの中に生きる時、やがてあなたの平安な心が周囲の人々にも安らぎを与え、あなたは人生はこれまでと全く違った方向へと進むようになるでしょう

なおも神をほめたたえる

“わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。”

詩篇 42篇5節

私たち人間はいろんなことで気が落ち込むものです。

社会にはそうさせるようなニュースが溢れており、人との会話の中にも否定的な話題があることでしょう。

時に、そうした否定的なことに囲まれていると、いつの間にか心が神から離れて、思い乱れてしまいます。

そんな時、静かに神を待ち望み、神が周囲の今の状況にとらわれずに、もっと素晴らしい道を開いてくださっていることを思い起こすのです。

そして、その素晴らしい将来はどこか遠くにあるのではなく、今の瞬間に繋がっているのです。

将来の神の導きを信じることができるとき、不必要な不安や気落ちから解放されて、今できることに集中できるようになるのです。

そして本当に神によって新しい道が開かれるのを見ることになるでしょう!

いつもともにおられる神

「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」

ヘブル人への手紙 13章5節

神はどのような時でも私たちと共におられます。

どんなに周囲の状況が荒れていても、心の中が神につながっている限り、どんな状況の中にいても平静さを保つことができるのです。

私たちはあまりにも多くのことを、自分の力でなんとかしようと、自分の力でもがき続け、疲れ果ててしまうことがあります。

天地万物を動かしておられる神はあなたの人生をも導いておられるのです。

あなたの人生に起こるどんな大きなトラブルも、神にとって驚く事は何も何一つもなく、すべては神の完全な計画の中で進んでいるのです。

自分が今やるべきことと神の仕事をしっかりと見極めることができるようになり、今自分にできる事はベストを尽くした上で、自分に力の及ばないことは神の導きに委ねることができるようになるのです。

自分が今できることだけに集中するとき、ストレスから解放されて楽しんで充実した人生を送ることができるようになるのです!

全ては良いこと

“あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。”

創世記 50章20節

旧約聖書に登場するヨセフは兄弟に奴隷に売られ、牢屋に入れられ、様々な策略にはめられましたが、いつも神の導きを信じて、前に進み続けたのでした。

そして、ついには奇跡的な方法でエジプトの高官にまで用いられたのです。

あなたに起こる全てのことは、神の計画の一部です。

おもわぬトラブルも、試練も、人間関係の問題も、病も、神にとって驚くことは一つもありません。

神は全てを用いてあなたを成長させ、最善のタイミングで奇跡的な扉を開け、素晴らしい働き人として用いようとされているのです。

周囲の環境や、人を避難することをやめ、今の状況の中で正しいことを行い続ける時、自然に人格が磨かれ、眠っていた才能が開花していきます。

そして、あなたが必要なことを学び、成長した時、神は次のステージへ引き上げてくださるのです。

どんな厳しい状況も、一時的です。

冬が過ぎ去って春がやってくるように、必ず変わる時がきます。

神の最善の導きを信じて毎日最善を尽くす時、今までの歩みを振り返って、神に感謝する時が必ずやってくるのです。

あれこれ思い返さない

“実に神は、すべての人間に富と財を与えてこれを楽しむことを許し、各自が受ける分を受けて自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。

こういう人は、自分の生涯のことをあれこれ思い返さない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。”

伝道者の書 5章19~20節

私たちはこの状況さえ変われば、これさえ手に入れば、、、と思っている時があります。

そして、本当に状況が変わったり、手に入ったりした途端に、「あれ?こんなはずではなかった」と思ったことはありませんか。

また違ったものを追い求めてしまうのです。

この詩篇の箇所を書いたソロモンは当時最大の富豪でした。

本当にあらゆる必要な「もの」は全て満たされていたのです。

その彼がこの伝道者の書の初めに「見よ、全ては空しく、風を追うようなものだ」と語っているのです。

そして、書の後半で彼が至った結論がこの言葉です。

神に備えられた日々を感謝して生きる時、「自分の生涯のことをあれこれ思い返さず、一つ一つのことにとらわれず、神の喜びのなかに生きる事ができる」と書いているのです。

神とのつながりが強くなるとき、今日1日神に与えられたものに、一つ一つ、いちいち感謝するようになり、そうした毎日の積み重ねが本物の喜びで満たされた人生につながるのです。

Proudly powered by WordPress | テーマ: Baskerville 2 by Anders Noren

ページ先頭へ ↑