“彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすればイエスをうまく引き渡せるかと、その機をうかがっていた。“
マルコの福音書 14章11節
イエスが十字架にかけられるに至った時の経緯です。
ユダが賄賂を受け取って、イエスを刑にかけるチャンスを作るとことになったのです。
あまりにも神の素晴らしい働きを次々と行い、人々に大きな影響を及ぼしていたために、イエスは逆に一部の人から妬みと恨みを買って、十字架につけらることなったのです。
イエスが人々を癒していた時には、彼の働きを絶賛していた群衆も、一部のリーダーによって、イエスの行いは神を冒涜していると信じ込ませられて、いつの間にか、イエスを十字架につけることに賛成していたのです。
こうした人々の策略や、変わりやすい感情はいつの時代にあっても変わらず、歴史の中で、同じようなことが繰り返され、今の社会でも同じようなことが起こっています。
聖書は人間の本質を様々なストーリーを用いて極めて正しく描写しています。
同時に、聖書は、神の正しい働きはあらゆる人間的な策略や働きを大きく超えて働くことも語っています。
イエスは自分が十字架につけれらることも神の計画の一部であることを知っていました。
そして、自分の命をかけた神の計画に忠実に従ったのです。
その後、イエスの働きは、それを止めようと計画した人々の働きをはるかに超えた大きなスケールで、とどまる事なく広がり続け、現在に至っているのです。
正しいことを継続しながら、報われない状況におかれることがあります。
しかし、神はあなたの一つ一つの神の前に忠実な働きを確実に見ておられるのです。
神に喜ばれる働きをしているのなら、たとえ人々に一時的に認められないことがあっても何も恐れることはないのです。
私たちは、時々、あまりにも人々の評価を気にしすぎて、神の前に正しい行いを取れなくなっている時があります。
あなたの心の中に、いつも神が共におられるとき、周囲の声に振り回されることなく、真っ直ぐに正しい道を歩み続けることができ、神の力を受けて、素晴らしい働きに繋がっていくのです!
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