弱いものが調和する

神は劣ったところをさらに尊んで、体をこのように調和させてくださったのです。(1コリント12:24)

私たちが今生きている社会は神によって作られたものです。

そして、聖書では、その社会のあり方を人の体に例えて表現しています。

目や、手や、足、筋肉、内臓の器官等体を構成する各部分はみんな違いますが、お互いに助け合って、協調して動いているから私たちは快適な日々を送れるのです。

どこかの筋肉が痛んでいたり、臓器が悪かったりすると、全体の調子が悪くなります。

このように、私たち一人一人もみんなそれぞれ違った役割と存在価値が与えられていて、お互いに助け合って社会を支えるように命が与えられているのです。

手と足がどちらが歩くのにすぐれているかなどど競い合うこと自体に意味がありませんし、そんな競い合いをしていてはまともに歩くことができません。

私たちは、社会の中で人間が作った評価基準に従って評価され、順序付けられることに慣れているため、神のこうした視点を容易に忘れてしまうのです。

日々、人間の作った物差しに合わせようと、自分を変えたり、無理に競争したりして、疲弊してしまうのです。

あなたには、あなたにしかできないことがあるのです。

人間的な評価基準から少し距離を置いて、あなたが神に向かい合って本当の自分の価値を問う時に、それが見えてくるのです。

聖書は同時に、体の中で比較的弱いとみられている器官がかえってなくてはならないものだと語っています。

目はちょっとした刺激で痛みますし、外からの圧力にも弱いですが、目が傷つくと大変なことになります。

もし、自分は価値のない存在だと思うことがあれば、この聖書の言葉を心に刻んでください。

神は劣っているように見えるところを、価値あるものにして、体を調和させてくださっているのです。

あなたの存在は、社会にとって大切な、かけがえのない財産なのです。

あなたの自尊心が、この聖書の言葉によって支えられる時、あなたの人生が輝き始めるのです!

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