罪はあなたがたを支配することがないからです 。なぜなら 、あなたがたは律法の下にはなく 、恵みの下にあるからです 。ローマ6:14
ここで語られる律法とは、世間で言われる「こうすべき」という概念です。
私たちは、良心に基づく正しい行いがどういうことかをよく知っています。
その一方で、社会の様々な状況おかれると、常にそれを行うことが難しいことがあることも知っています。
約束を守るというシンプルなことでも、予定が詰まってくると、時間に遅れたり、急にキャンセルしたりしなければならないこともあります。
体調をいつも整えなければならないというシンプルなことについても、ちょっとして不注意で風邪を引いてしまうこともあります。
正しいことを行うことは大切ですが、同時に私たちはいつも完璧であることの難しさを知るのです。
また、自分に完璧であろうとするとき、他人にもそれを求めてしまい、人間関係を保つのが難しくなることもあります。
「こうすべき、こうあるべき」という理想像を追求すればするほど、人間的な力だけではそこに到達するのは難しいことを知るのです。
神の恵みに触れるとき、あなたは「こうすべき、こうあるべき」という鎖から自由になります。
それは身勝手になるという意味ではなく、完璧でない部分を補ってくれる神の存在を知るということなのです。
これまでと同じ努力を続けますが、うまくいかなかったからといって落ち込んだりしません。なぜなら神がもっと良い道を開いてくださることを知っているからです。必要な力も能力も与えてくださることを知っているからです。
そして不必要なストレスやプレッシャーから解放されたあなたは自由に自分の持つ可能性を追求することができる様になり、神があなたに与えた可能性が開花して行くのです!
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