神が私たちのうちにとどまっておられることは、神が私たちに与えてくださった御霊によって分かります。“
ヨハネの手紙 第一 3章23~24節
神が私たちの中にとどまっている、神が共におられると言う感覚は、このまさに聖書の言葉が語る通りに私たちに与えられているその御霊によって感じることができます。
この御霊と言うのは、いわゆる直感とか第六感とか思いつきとかいった、人間の論理的な考え方を超えた、いわゆるひらめきや感覚のようなものに近いものです。
直感等は自分の勝手な思いつきであり、神とのつながりから生まれる直感的な感覚と言うのはこの御霊なのです。
そして神が内にとどまっているという実感がある時、あらゆる周りのものがすべて1つの神の導きの中につながっているかのような感覚を得ることができます。
それはあらゆる周囲に起こっていること、今与えられているもの、過去のもの、そして将来の計画に至るまでが、すべて神の導きの中で1つになってつながっているような感覚です。
私たち人間には、将来のことを見ることができませんが、神に対する信仰と信頼によって私たちは将来を感覚的に掴むことができるのです。
そして私たちが、神とともに歩んでいると言う感覚があるとき、私たちは神と共に素晴らしい働きをすることができるのです。
「素晴らしい」と言うのは何も世の中の比較基準に基づいた素晴らしさではありません。
私たちが世の中の基準に沿って、素晴らしさを定義し始めると、その素晴らしさは神の素晴らしさからかけ離れていきます。
神の素晴らしい働きと言うのは、あなたに与えられた、あなたにしかない神からの贈り物を、最大限に生かして生きることにあるのです。
ですから、それは時としては世の中の価値基準とは違うでしょう。
しかしあなたが神に与えられた才能最大限に生かして生きる時に、あなたは中には充実感が生まれ、自然にあなたの働きを通して多くの人を幸せにすることができるのです。
それこそが本当に素晴らしい神に与えられた人生なのです!
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