流されて生きる

自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。

マルコの福音書 835

私たちは、自分の人生がいつも全ては自分の思う通りにはならない事を知りながらも、将来のビジョンを持つものです。

目標を持って、それに向かって努力することは、常識的には美德とされ、流されて生きるというのは、むしろ良くないという社会通念があるものです。

ですから、神の導きに従って生きるとか、神に委ねて生きるといった概念は、一般的には理解が難しいものです。

ところが、神との繋がりが強くなるに連れて、自らの隠れた才能に気づき、神に導かれて歩むことによって、自分の考えをはるかに超えた素晴らしい道が開かれる事を経験するうちに、自分の狭い視野と考えを捨てて、大きな神のビジョンと導きを求めるようになるのです。

神との繋がりを持たないときには、自分の考えの中から生まれてくるビジョンというのは、様々な社会的な価値観に基づいていることが多く、本当に神が私たちに与えた才能を活かせないことがあるものです。

神は天地万物の全ての動きをコントロールして、調和の中に保っているのです。

あなたの人生も、その神の大きな働きの一部なのです。

自分の小さな世界から出て、神の大きなスケールのビジョンに従うようになるとき、神があなたに与えた才能を最大限に生かして、思うところ願うところを超えた素晴らしい人生を生きることができるようになるのです!

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