隠されているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。(ルカ8:17)
あらゆる私たちの日常活動での行動が私たちの将来を決定しているのです。
日常の些細なことで、「誰も見ていないからこれくらいいいか」と言って、良心の咎めがありながら気を許してしまうことがありませんか?
自分でもう少し頑張れると思いながらも、「誰も見ていないからこの辺でいいや」と妥協してしまうことはありませんか?
私たちは本来心の底に何が正しいかを感じる心を持ちながらも、それを見過ごしてしまうことがよくあります。
聖書もこの人間の本質を至るところで語っています。
あなたが自制心が特に弱いのではなく、それが人間の本質なのです。
ところが、あなたが聖書を通して、神と繋がったときから、あなたの行動は自然に変わります。
あなたのことをいつも大切にしてくれて、完璧に信頼してくれて、どんな時も助けてくれる人があなたのそばにいたら、その人の前では、信頼を裏切らないように、自然に最善を尽くそうと思うでしょう。
神はまさにそのような存在で、あなたのそばにいてくださるのです。そして、たとえあなたが最善を尽くして、完璧にできなくても、決してあなたを責めたりはしないのです。
私たち人間には誰でも弱い部分があるので、自分の力だけで完璧にやろうとしても、そうすることができない自分に失望するだけです。
しかし、あなたのことを本当に信頼してくれて、大切に思ってくれる存在をいつも自分の中に感じていれば、他の誰が見ていなくても、最善をいつも尽くすようになります。
人が見ていようと、見ていなかろうと、人から評価されようと、されなかろうと、神の前にいつも最善を尽くすようになると、あなたは自然に表裏のない一貫した行動をとれるようになり、不思議なほどいろいろなストレスから自由になって、人生が輝き始めるのです!
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